比較的最近の文章
■Wizardry賭博説
[2000/11/01]
■「影牢〜刻命館真章」をいまさら考える
[2000/07/11]
コンピューターゲームの黄昏:これまでのあらすぢ
これまでの文章を整理、解題してみました。
昔の文章の下手さ加減は目に余りますが…
ゲームのかたち
■「影牢〜刻命館真章」をいまさら考える
[2000/07/11]
■キャプテン・ラヴ メモ(1)
[1999/05/12]
■キャプテン・ラヴ メモ(2) 転向文学として読み解け!
[1999/06/05]
■メタルギアソリッド覚え書き
[1998/10/01]
■メタルギアソリッド追記
[1999/01/17]
■ゲームの見た目の奇麗さ:バイオハザードはおしゃれだったか
[むかし]
表現作品の本質は見た目だ、というのは、まずは正論だろう。なぜなら、 中身=意味内容というのは、いくらでも口まねできるけど、見た目をよくし、スタイルを身につけるには、決まった方法論がないので、時間をかけてセンスを磨くしかない。見た目ではうそがつけないモノなのだ。
そんなわけで、大人の趣味ってのは、かたちをいかに楽しむかってことだから、いい年をしてゲームをやっていくためにも、見た目や外形、スタイルに敏感になりたいなあと思いつつ書いた文章がこれら。
しかしこれは言い換えれば、私も含め、凡庸な人間は、短期促成がきく中身や 意味、でまずは奇襲と逆転をねらうしかない面があり、見た目重視というのは富者、強者に都合のいい思想でもあるってことだ。ここらが後にゲーム階級論に通じていく部分なのだった。文化から疎外されたダサい奴にとっては、理論だけが味方なのだった。
自由度をめぐって
■Wizardry賭博説
[2000/11/01]
■自由度の神話3:昔のウルティマについて
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■自由度の神話2:TRPGとPC-RPGの蜜月
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■自由度の神話1:WIZフリークのその後の人生
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80年代から90年代前半にかけてのことだが、ゲームがほかのメディアと違うのは、プレイヤーがゲームの中で、自分が決めたとおりに行動できることで、選択の幅の多さ, 「自由度」こそが、ゲームの善し悪しを決めるんだと言うことが、ゲームファンの間でよく言われていた。これは、思考型ゲームのファンが、最初に見つけた自分たちのイデオロギーだったということが言えそうだ。
しかし、このイデオロギーは本当に正しかったのか?また、そういう考えを持たざるを得なかった当時のゲームファンの気持ちというのは、どんなモノだったのか? そのへんを考えながら、「自由度」指向の古典RPGの楽しみ方を考えた。
ギャルゲー/エロゲーを論じる
主に、「発破、鍵」以前の古典エロゲーを語る文章。
ラブ・エスカレーター論考1
■1.男の子ゲームとしてのラブエスカレーター
[1999]
ラブ・エスカレーター論考2
■2.いまどきの「階級」の発見
[1998]
■「きゃんきゃんバニー・エクストラ」
[1997-99]
「美少女ゲーム」総論1
■第一話「エロメディアの精神」
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「美少女ゲーム」総論2
■第二話「恋愛競争の敗北者たち:With ピアキャロットへようこそ2中間感想
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■同級生2の世界観
[1997]
パソコン系ゲームのこころいき
パソコンゲームというプラットフォームが持っている独特の雰囲気について考察した文章。
■飛行機好き以外にとってのPCフライトシミュレーター[再考中]
[2000/05/07]
■しばらく前までのアートディンク製ゲーム
[1999/01/17]
■スタークラフト伝説第2章:君はPHANTASIE III PC88版をみたか
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■ゲーム作家に自己表現は可能か?:ルナティックドーンの場合
[1997]
■消えたゲーム屋:スタークラフトと終わりのない夏休み:超大作米国産RPG考
[1997]
プレイヤー論
ゲームとは何か?という問いは、結局、だれがゲームをやっていたのかという問題だったりする。
■EVE burst error論:おたく文化とハードボイルドの奇妙な関係
[1997]
■岡田斗司夫ちょっと批判:あるいは主旨表明その2
[1997]
■光栄の歴史ゲームと、歴史教養主義について
[1997]
これらはごく初期の、おたく論的な方向性のもの。
しかし90年代後半、自らゲームオタクであるとして開き直るおたくはもはやいなくなり、互いに相手のオタク臭さを馬鹿にして、自分はまだましだど思って安心するという時代になっていく。これでは、オタクという視点自体が、意味が薄れてくる。コーエーさんも今や歴史教養を完全に脳天気な娯楽へと消化してしまいましたし。私の読みは甘かった。
私の関心も、オタクをエリートオタク/クリエーターと、消費者オタクに二分化せしめていた時代背景というモノに移っていったのだった。
■ゲームおたくのメディア戦術
[1998]
■ゲーム階級論ふたたび
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ラブ・エスカレーター論考2 →
2.いまどきの「階級」の発見
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2000年度には、一部のメディアでも社会階層ネタが流行っていたようで、いま や階層分化は一般的な感覚として広く受け入れられつつあるような。しかしくだんの議論は、結局、客観問題として階層分化はあるのかとか、階級社会は是か非かという、政治的問題に収斂してしまう。
階級というのは、個人の視点から見れば、人間の自由意志とは、運命とはなにかという問題なのだと思いますが、近頃の不況と階級分化とを、そういう主体的決断の方向で考えようというムーブメントは結局なかったのだった。つーか、環境が個人に与える影響なら心理学の問題だ、と分けられて、事態を一つの体験として総合的に把握する言葉はうまれないのだった。
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Wizardry賭博説
[2000/11/01]
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