ウィズフリークのその後の人生

ゲーム、とくにRPGなどについて、「自由度」ということを非常にに重視するタイプのゲーマーがいる。(いたんだよ〜。99/4/4補足)しかもその人たちの多くは、ゲームの自由度はすなわちプレイヤーの精神の自由度であるとひそかに信じており、そういうゲームをプレイすることに誇りを感じている。
そういった人たちの話を聞いていると、じつは強烈なWizardry体験の持ち主であったということが、けっこう多い。彼らにとっては「自由度」とはWizardryの別名のようなものなのだ。そして、いつかまたあの感動に再開できるかもしれないという淡い期待のもとに、今もゲームをやりつづけている。そんな「余生」をおくる、もとWIZADRYフリークが予想以上にいることが、このページへのリアクションで解り始めた。
こういった事は誰にでも起こりうる一般的な出来事なんだろうか。たとえば最近ゲームを始めた人たちは、今のゲームの体験を胸に秘めてこれからもゲームをしていくんだろうか。
その事に関連して、私は、Wizardryの作者は(そしておそらく、初期のファミコンのRPGなども)「一個人」ではないのではないかという思いがある。
「何か新しいものを作りたい、何かを表現したい」という欲求は、いつでもマイナーな領域から生まれてくる。メジャーな世界、必要なものをすでに手にしている世界は、なにかを創造しなければならない必然性が無いからだ。
だが、マイナーなものだけでは多くの人を動かすような創造的ムーブメントは起こらない。メジャーなものとマイナーなものとが出会う場所、創造のための動機と手段がぶつかる場所こそが、なにかすごいものが生まれる場所だ。
ゲームの黎明期はとても特殊だった。ゲーム業界そのものが、上記のような場所だったのだ。それまで専門家の技術でしかなかったコンピューター技術や、趣味のパソコンが、人の心を動かす強大な力をもつ、メディアになりうるという発見。そういう事の中に創造力の源泉があった。初期のゲームはみなこのような時代の力によって生み出された。
Wizardry Iの面白さはその後、作った本人たちも含めて、誰にも再現することができなかった。それはこのゲームが人知を超えた、時代の要請によって生み出されたものだったからだ。このゲームの「自由さ」は、それが個人のキャパシティを越えるなにかによって生み出されたからだ。それが「自由度」の正体であったのではないか。
いまはもう、業界そのものには創造の動機はない。コンピューターがすばらしいメディアになれるということを、あらためて証明する必要はもう無いからだ。もちろん、そもそもクリエイターとは自分の心の中に創造の場、メジャーとマイナーが出会う場所を持っているものだろう。自分の誰にも理解されない部分と、社会的な部分が出会う場所にそれはある。そのような個人的資質によって、ゲーム自体は今後も発展していくだろう。また、そうあらねばならない。
だが、時代そのものが「創造する理由」をもっていた、あのゲームの青春時代はもう帰ってはこない。Wizardryというゲームは、過去から何も受け継がなかったが、未来にも後継者をなにも残さなかった。そういうゲームだった。
しかし、一方では失われたものを取り戻そうという動きもやはり存在した。その一部はやがてTRPGのPC化という方向性を見出していくのだったが…(つづく)

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