同級生2の世界観

率直に言って、最初私はこのゲームになじめなかったと記憶している。
たとえば、みのりちゃんが、「顔で女の子を判断するような男は嫌いだ」という旨のことをいう場面があったが、その時ちょっと違和感を覚えた。だが同時にこのゲームの本質に触れたとも感じた。
もちろん、彼女の言っている内容が変だというのではなく、それはいいんですが、ふつうこういうことを日常会話でいうかな?と。自分が何が好きで、何が嫌いかは、じつは自分でもなかなか分からないわけで。だから日常では人は誰かに対して「私は○○な人間なんだ」とあらためて宣言したりしない。また、そういう方法では本当に大事なことが伝わらないということを、私たちは経験上しっている。
だが、言葉で自分を説明できなくても、一緒に過ごす時間、共有する思い出が増えていけば、人間はそれを仲立ちにして理解しあうこともできる、それが現実世界でのコミュニケーションであるといえる。
みのりちゃんは人との付き合いぎこちない人なので、これはこれで理にかなっているんだが、よく考えてみるとこのゲームの登場人物のほとんどが、「わたしはかくかくしかじかの人間である」と、自分で宣言するタイプの人物であるということに気がつく。女の子たちはそれぞれ個性を与えられているといわれているが、この点に関しては、みな非常に似ているといえるのだ。
(ここで実例を列挙しようと思ったんですが、根気が無いので止めました。でも「わたし××なの」型の発言が、現実の会話にくらべてやたらにおおいとおもいます。できればプレイして確認してみてください。)
つまり、このゲームの基本的な文体は、「独白」であるのだ。誤解を恐れずに言えば、このゲームには「会話」はない。
このゲームの会話は、その場その場で、言葉のやり取りを楽しんでいるというのではないのだ。この世界のどこかにいるかもしれない、自分のことを理解してくれる人、そういう不特定の存在にむかって「わたしはこういう人間だ」と叫んでいるかのようなのだ。そういうナルシシズムと孤独を感じさせる文体が、このゲームの会話の基層をなしている。
高校生ぐらいのときは、誰でも多少はナルシストかもしれない。しかしこのゲームでは、大人である美佐子さんや片桐先生もけっこう「独白文体」の使い手だ。ゲームシステムの問題もあるかもしれないが、このゲームの登場人物は、「独白」しか自己を表現する手段を与えられていない。
さりげないしぐさや表情、身のこなし、取り止めのないおしゃべりの積み重ね、そういう本来大人がもちいる自己表現の方法が使えないので、彼らは「私ってこういう人間なの」と自分で自分を説明する。私には、このゲームには「大人」が存在できないと感じた。それが私が違和感を覚えた理由なのだが、今思えばこれが、誰かに理解されたい、でも言葉では伝わらないという若いやつらに特有のジレンマみたいなものを、このゲームが描き切ることができた理由でもあったのだ。
このゲームでは、恋愛は相手を理解することと捉えられているようだ。(アメリカ映画のような、「恋愛とは、男と女がそこに存在することだ」というシンプルな世界とはずいぶん隔たりがある。日本のゲーマーがこういうのが好きだとすると、それはそれで興味深いが、これはまた別の話だ)このゲームの「独白文体」では、現実には人と人が理解しあうことはできないだろうが、「もし、自分の言葉がそのまま通じたら…」という夢の世界を描くことには、このゲームは非常に成功している。
このゲームはいわば、閉じられた美しい世界だ。ゲームのメタリックな色調と女の子を画くときのシャープな線(この種のゲームでは、もっと丸っこいタッチが一般的なような気がする)はこのゲームの世界観とよくマッチしている。
先にこのゲームに「大人」は存在できないといった。その一つの理由は、このゲームでの「大人」の定義は、そもそもわたしのそれとは根本的に違うということだ。
主人公がセクシュアルな皮肉やジョークに対して、「大人の会話だったな」とコメントする場面が2回(たぶん)もある。こういう「皮肉」、現実に対する斜めの姿勢、「おれはみんな知ってるんだけどぉ」というのが、このゲームでの「大人」の定義らしいのだ。このゲームの主人公は相当いたずらを働いているようだが、いたずらそのものを楽しんでいるというよりは、ほかのやつがやれないことをやっている自分というものにプライドを感じているように描かれている。このあたりもそうとう斜めだなーと思う部分だ。
つまり、「独白」と「大人=皮肉」、これこそが同級生2のメインテーマなのだ。大人であることを単なる皮肉屋であることと見なすことによって、現実の地道な大人のコミュニケーションをゲームから一旦切り離し、くせがあるがインパクトのある「独白文体」で全体を統一したこと。これがこのゲームの秘密なのだ。
だが、世の中には「大人」の定義について、それ以外の考え方もある。たとえば、世の中を何もかも知っているくせに、バカなふりをし、悠々自適で生きている。そういう「賢い道化」とでも言うような存在。そういう人間像がこのゲームにはない。
もしたった一人でも、みなに笑われながらも、大切なところでは、大人になりきれない主人公たちをやさしく見守っていてくれる、そんな登場人物がいたなら。それだけで私もこのゲームを大好きになれたかもしれないのだけど。

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