男の子ゲームとしてのラブ・エスカレーター

ええ、美少女ゲームの女の子がオトコに都合のいい子ばかりだというのは、すでに耳になじんだ批判であり、反論する側も「ゲームだからいいじゃん」と答えてごまかしておくのが常で、たいして議論が深まることもないです。
しかし、一口に「都合のいい女」と言っても、貴方にとってのソレと、他の男のそれとはまた違っているかもしれない。国や文化によっても違うだろう。
たとえば、西洋人の男にとって理想的な女というのは、「自分の幼い娘みたいに、なんでも素直に言うことを聞く従順な女」だが、日本の男社会が女に求める理想というのは少し違って、「自分の母親のように、男の至らなさを許して(また正して)くれる女」であったりする。勝手なことではどちらも似たようなもんだが、この微妙なニュアンスの違いは、いろいろなところに影を落とすのだ。たとえば、西洋人が「男女平等の社会」と言うものを考えるとき、それは必ず「女が男らしくなる」と言う形で実現されるもので、それ以外の道は連中の想像力の中にはない。タフで賢いエリート男女、「男らしい女」と「男らしい男」がリードする社会。それが西洋的な意味での男女平等である。この場合、KAのように、当の昔に男らしくあることなどあきらめた男は、ハナから蚊帳の外であるわけで、(自分が通俗的な男女平等思想に懐疑的である理由もこの辺にある)こういった齟齬も、前出のような女への期待のかけかたの違いに由来するように思われる。だから、その辺をあいまいにするのが嫌なんだよな。
読者諸兄は、「女とはすばらしいものだ」と信じられる若さをまだ保っているのだろうか?それともそんな段階は卒業されたのか?(えらそう。自分はどうなの?) いずれにせよ、まずは男の子なら、自分が女と言うものに何を夢見ていたのかを知らねばならぬ。 ラブ・エスカレーターのシナリオは、そんな男の子達の女への理想とその挫折という視点からギャルゲーを再構築する。
ゆえに、ラブ・エスカレーターは漢ゲーなのである。

女の子には青春はない?

オープニングアニメに、水着の理恵がこちらを手招きする場面、前を走っている理恵が手を差し伸べる場面がある。この2カットだけで理恵と言うキャラクターの役割をすべて表現しきっている。この点非常にすぐれたオープニングである。
理恵と言うのは、迷いとか屈折とかがほとんどない人物である。主人公をはっきり自覚的に愛しており、そのために主人公をどう導けば(コントロールすれば?)いいのか、誰に教わったわけでもなく知っている。つまり、生まれたときから、人間として完成しており、内的に挫折したり、それを乗り越えて成長したりする必要がはじめからない人として描かれているのである。 主人公が理恵に惚れる理由も、そのような「完成されたもの」をもとめるがゆえ、であるわけで。
これは男登場人物の現実とはまるで対照的である。女にもてようとあがいて、そのたびに自分が並の男に過ぎないことを思い知らされる、それでも一歩ずつ前進していくしかない、さえない青春(死語)。そう、青春(死語)と言うのがそういうものだとしたら、「ラブエスカレーター」においては、女達には青春(死語)はない、あるいは、それを超越している。青春とは、男特有のものだ、と言うのが、このゲームのシナリオから感じられる一つの思想である。
たとえば、佐倉の姉御なども、内面的な「挫折と成長」を必要としない女として描かれている。人生の目標が明確にあって、それを実現するために必要なことを確実にクリアし、不必要なことはすべて無視する。 唯一、例外と言えるのは、美紀ぐらいか。彼女はいいですね。ただ、挫折を乗り越えて、「完成されたもの」としての女性になるんですが。
しかし、実際には女達がそういう物であるかどうかは分からない。
佐倉は弱者救済のために法律家になるのだと言っていたが、弱者にもプライドと言うものがあり、彼らは強者たる彼女を憎んで、差し伸べられた手を跳ね除けるかもしれない。彼女のようなタイプは、いずれその辺のことを学ばなければならないだろう。
理恵にしても、あのような繊細さと聡明さを身につけるには、「そうしなければ生き残れなかった」ような、結構しんどい事情があったのではないか。平均的な中流階級の女の子は、あんなふうに自分の惚れた男をそれとなく導くような知恵は持ってないもんだと思う。物質的、精神的に苦労した人が持ってる事の多い能力だからなあ。
↑想像上の人物に更に想像を付け加える愚を行ったのも、こういった要素がシナリオから意図的に排除されていることを示したかったからですね。ゲームをプレイした人には言わずもがなのことだが、これらのことが書かれていないから駄目と言うことは全くなく、逆にその点にこのシナリオの肝があるわけだ。
挫折と劣等感の泥沼を這い回る男達を、一段高いところから導き、あるいは笑い者にする、手の届かない理解不能な存在としての女。それがこのゲームの性差観なのである。(では、女達の青春は?それを語るのはやはり女達の仕事であって、とりあえずこのゲームの任ではないのであった。
参考リンク: Love Escarator Non-Official Fan-page

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