* 自己満足したので削除 *
が、プロバイダの対応等がどこか不穏なため、この期に 移転しようと思った。かなりバタバタしているあたり、 社員さんらにとっても、寝耳に水だったか? 次期ネット環境はDION + レンタルスペースとなるべし。 現大家 http://www.vc-net.ne.jp/ ページ移転検討先 http://www.acc.ne.jp/
一般に見かける米国発のGeek論をチェックしていないので明言はできませんが、 ただリンク先の解説では、銃乱射事件以後激しいGeekバッシングがあったという ことなので、「社会的に見てヘン」という論説は実はあちらじゃ相当に出回って いるんじゃないかという気がします。少なくともその事例が、日本の宮崎事件に 相当するインパクトとして向こうにあるんじゃないかと。 怒れる少数派というのはさしずめ、そうした論調へのとりあえずのカウンターが、 Geekの業の深さを本格的には知り得ない非おたくによって提出された際に生じた、 ちょっと見当違いのレトリックなのかもなあと思います。あるいは人はどうにも 理解しづらい者を前にしたとき、その反動としてきっかけさえあれば積極的な肯 定に転じることもあるとか(90年代後半の日本でも、岡田斗史夫を窓口にして、 その手のおたく産業論が饒舌になされましたっけ。まあ仁の少ないことでした)。 加えて、あの本の著者が実際に体験したGeekとの交流が、結果的にはいい思い出 になっているらしいことも、そうした肯定的レトリックを導かせやすくした要因 としてあるのかも知れません。 と色々スレた見かたも取れますが、ただ僕としては、この本には今野敏の『慎治』 のような一風変わった成長物語をやや期待したいところもあります。あれはおた くとしてのモラルを踏まえつつ、なおあり得るかも知れぬ勝ち負けとは無縁のロ マンを追った作品でした。 あらら、本の話題なんか出したらUnixからもRogueからも離れてしまいましたね…。 情報とモノの話にも思うところがあるのですが、それはまた。
> まさにソレ系の人達を取り扱った本が 今回はソフトウェア技術に話を限定したので、Geek一般とは 違うのかもしれませんが、米国おたくと日本おたくとの違いという のは、ときどき考える問題です。 欧米のように知識人層の地位が高い世界では、おたくもストレートに 知識人としての成功を目指すのかなあと思ったり。(でも、欧米中産 階級エリートに必要な社交性というものがないあたり、どうなんだろ。) しかしそれだけに、一般に見かける米国発のgeek論からは、 社会的地位と無関係に生身の人間としてみて、オタクはやっぱり 変だという問題がいまひとつ見えてこないような気がします。 オタク/geekというのは、多数派とか少数派というような数の問題で はなく、知識が勝って、広い意味での徳がおとろえているという、 人としての欠損の問題で、それはアメリカでも同じだろうと。 私などは、そのあたり「オタクとして、カタギさんには迷惑かけない ようひかえめに」とか思ってきたので、「怒れるGeek」というもの にはあまり共感はしないんですが。オタクがお天道様の下を大手を ふって歩くってのはどうも。近頃の秋葉原の町並みとかも、どうか と思うなあ・・・ その意味では、日本のハッカー連もよく怒っているので、自分たち の地位が不満なのかもしれません。 日本でも、国力が凹んでいるときには、外国文明の現地要員としての インテリゲンツィアがでかい顔できるので、やっぱ今はまさにそ んな時期なんでしょうね。80年代オタクとちがって、ハッカーに はアメリカ世界帝国=いんたーねっとという下部構造がある分つよいのか。
先頃まさにソレ系の人達を取り扱った本が翻訳・発行されたようです。 わりとイイ書きかたをしているみたい。少しは参考になるのかしら…。 ↓ http://www.bk1.co.jp/cgi-bin/srch/srch_rev.cgi?aid=&bibid=02010788&volno=0000&revid=0000029103
の掲示板をチェックしているみなさまへのわびに、ボツ原稿 でもご覧いただこうかと思います http://www.vc-net.ne.jp/~kata511/doc/tech.html ボツ理由: 1.まだツッコミがあまい 2.ネタ的にメインで扱いたくない 現代ゲーム界への復帰には今しばらく時間がかかりそうです。
アルファ・システムさんのサイトで、例の「あたらしいゲームのはなし」(学生向 け)を読んで卒倒したことですよ。 http://www.alfasystem.net/ngs/ いや私のゲーム観、人間観とまったく正反対であり、一字一句たりとも賛同でき る部分がないのに驚いて。まあよそでも似たような事を言ってるようですが。 これでは私がガンパレとそりが合わなかったのも当然だ〜 わたしが感じた違和感の一部を列挙すると。 1.ゲームをゲームたらしめるものはシステムか。ゲームは「自らをゲーマーと規 定する人たちが愛好するところもの」という外的、社会的要因によってしか定 義できないのであって内在的にゲームをゲームたらしめる要因は実はないと思 う。 (私が電脳紙芝居たるギャルゲーをゲームだと考えているのも、これゆえ。) 2.シンプルな個別的事象ならともかく、総合的にオペレーションズ・リサーチの ようなモノがどれだけ役に立っているかはもう少し検討が必要じゃねーのか。 大企業や官庁のような組織では、理論でどうしてもつじつまが合わない、あ るいは応用のための展開に時間がかかりすぎるような、不確定要因の多い問 題は下請けに投げるので、うまくいっているように見えるが、世の中全体の効 率が上がっているのではなく、たんに階級格差が開いているだけかもしれない。 つまり、ゲーム界全体のためではなく、アルファ・システムが割の好い仕事し かしたくないという単純な話じゃん。 3.このままでは携帯ゲームに退行するという恫喝をしているが、そりゃ業界人む けの恫喝であって、わたしのようなプレイヤーは、古いものにも新しい問題意 識を見いだして楽しんできたつもりだし。つーか何が何でも新しくなきゃいけ ないという心理はよく理解できないのです。書物もゲームも恋愛も、「隅々ま でじっくり味わおう」などと思えば時間がかかるのに、次々と新しくしないと 気が済まないのは、味覚が麻痺してしまっているだけじゃ… 4.制御系うんぬん ロジックとデータ部を分けるというシステム設計的発想、さらにロジック重視 というのは、万能の神として箱庭世界の法則を支配することであり、いちプレ イヤーの立場からいえば、そこにいわゆる自由はありません。プレイヤーがク リアすべきパターンが増えるだけ。それに対して、データ部に含まれる文化的 コードは歴史的に築かれてきた膨大な意味関係の網の目の中にあり、これが個々 のプレイヤーの記憶と結び付いて無限の連想を作る、つまり送り手と受け手の 出会いという、作り手の意識的制御を越えた「偶然」が表現作品の独自性を保 証するし、ゲームも本質的にそうなのでは?つーか私のゲーム体験はそういう ものだから。 ゲームシステムもパターンを増やす為にあるのではなく、それ自体がなにかの 意味を喚起する文化的コードの一種としてわたしゃ受け取り、楽しんできたか らなあ。 5.正論めいた目標が掲げられていますが、これらは実存的な意味付けはされて おらず、といってただの大義名分といった風も感じられない。 暇つぶしにはでかい目標の方がエキサイティングという理由でピックアップ されたものだろうと思う。 6.文章を書いたやつの性格が悪い。数学のようなものでさえ、美しさや統一性を もとめるとか、必要以上の事はしたくないなどの、根拠のない美意識や気質に もとづくのであると思うが、ならば、この人の悪さがプロジェクトそのものに 影響を与えないということはあるまいよ。 わたしは このところ同じ事を繰り返し言ってるだけなんですが、この文章から 感じられるのもニヒリズムなんですよね。自己顕示のための暴論ではない、完全 なニヒリズム。 どんなにクールにキメてるやつでも、よくよく観察すれば、それによって別の誰 かに認められたいという意図は見いだせるものです。サイコ系ドラマに登場する 快楽殺人者も、必要以上にキチガイらしく振る舞うという観客へのサービスをや っている点で、人間的なつながりを求めちゃってるよーに。 が、ガンパレや今回の文章にはそういうのが全くないんですわ。自分以外の全て を退屈しのぎのための玩具と見なして、そのことに100%満足していて、これっぽっ ちも孤独を感じたりはしていない。 そもそも私どもが徳であるとか善であるとかを笑うことが出来ないのは、「誰か らも愛されなくてもいい」などという人間はあり得ないという前提に立脚してい るわけで、もし、そうでない人間が一人でもいればそれだけでその世界のあらゆ るルールは否定されてしまうです。 だから、ガンパレやその開発者のようなものが存在していると言うこと自体が、 戦慄すべき事なのであって、多くの人がショックを受けているのも、本質的には その点を感じているからだと思うんですよ。 >過去はただの想い出です。今は一時の腰掛けです。重要なのは、未来をどうする >かであることを、良く心に刻んでください。 ああ、過去だけが人間をほかの誰かと区別するのであり、未来しかもたない人間は、 目的達成のためだけに特殊化した悪魔にほかならないということを、ヤツぁ解った 上でやってるようです。 ええ、もう二度とガンパレに関わり合うのはやめようと「今度こそ」決心した。 まじで気分悪くなってきたし。
その手がありましたか。 ガンパレでこれをやるなら、データーを消す代わりに「セーブ終了」と「セーブして続行」とで 記録データをひそかに変えて、あとでリセットをしたこと自体がストーリーに織り込まれてくる、 という細工で来たのではないかと思います。 「だれかが世界をリセットしているようです」 しかしこの方法、細工がばれやすいし、どういう局面でリセットしたのかは解らず。 というのも、正面からリセットによるやり直しそのものを禁止してしまう真面目さや、 その真面目さを隠さずにプレイヤーに共有してもらおうとする実直さは、昔のゲームの 「お人好し」に通じるもので、ガンパレにはないものですから。
>リセット PSのハードであっても。 メモリカードからデータをロードした時にそのデータを消してしまい、 セーブは終了時以外にできない、という仕様にすれば防げます。 フリーズした時のクレームは想像を絶すると思われますが。
そうか私はPS1の仕様に感謝しなくてはならんのか。 ……なんでだ。 ていうか「バカバカバカバカバカバカ!」「今言った100倍バカ」みた いな子供のケンカみたいっすね。 そうか、プレイヤーの鬱屈は、今まで思い通りになってきたものが、 開発者の進出によって阻まれたことによるものか。 …やっぱそれって不作法だと思うです。 「倫理」てのは、確かにそうだと思います。 ただ、ネットゲームやオンラインゲームという問題ではなく、一般の コミュニケーションとして「自分たちにしかわかんない言葉の使い方 を強要した相手に対してその使い方をゲームの外の世界でも強要する」 というやりかたは失礼だ、という意味で。 もちろんこの「失礼」は、絶対的な価値観ではなく、多数派になったら 人に影響あるよなあ、てな世界における評価。価値をめぐる闘争を、プ レイヤーと開発者がするのは、プレイヤーにとって不利なゲームですよ ね、多くの場合。 そこで手心を加えてくれるだろうということが「信頼」なのかも。 wizの時代の話は、それとは源が一緒にしても、なんか違うと思う。 お人好しぶりの源泉は、なんとなくの仲間意識みたいなものじゃないか と。たぶんガンパレは、それに便乗したなにものかでしかないんじゃな いでしょうか?
>でもここでリセットする行為まで、開発者の思惑に入るたぁ思わんです。 ハード面に限っての話ですが、 PS2は知らず、確かにPS1ではソフト側でリセットの検出できないらしいし、 速度的にオートセーブも無理だし、ユーザーのリセットの特権だけは、先回りして 茶化すことができないもんなあ。もし検出できたら絶対なんか仕込んでいたとおも いますが。 しかし、ゲームマスターとプレイヤーが、互いにメタレベルの特権をくり出し合う ってのは、どういう状況なのか〜 このあたり、ネットゲームや対戦ゲームをめぐる、「ゲームの倫理」に通じる 部分なんだろうなあ。ゲームが本質的に信頼を必要とするモノなら、 wizの「お人好しぶり」のなぞもそこにあるのかも。
「不作法」と名付けたら、結構すっきりしました。 ……ダメ? ちなみに私は、戦友が死んでリセットして、もう誰も死なせない、と いう動機で結構頑張れました。 でもここでリセットする行為まで、開発者の思惑に入るたぁ思わんです。 もしも入ってると言われるなら、ゲームを投げ捨てるまで。 なんかね、こんな緊張状態をもたらした意図を、つきつめたい気がする ですな。
>事情の異なる他人たるプレイヤーへのすがすがしいまでの無関心だっ >たのではないか 確かに意地悪と言ってしまうとすこし違うかも。 しかしそうなると、また別の疑問が。 それは本当に「ごく素朴な」他人のそっけなさかなあ、と。 一般にモノを作る場合、具体的な受け手を何等かの形で想定するか、もしくは 抽象的な真理(それも結局は、具体的な誰かに還元されるんだけど)を表現し ようとするものでは。誰が誰に向けたのかが定まらねば、モノの意味は生まれ ないものだし。それこそ群体AIのように。そこらの他人との関係と同じかどうか。 周囲への無関心を動機として、あれだけのゲームシステムを作り出したのだと したら、そんな事が出来るのは、全能の神ではないにせよ、超人か決戦存在か、 なにかしら堅気でないものでしょう。それならむしろ単なるいやみ以上に不気味です。 >すべての仲間たちをとにかく死なさないよ >うにすることをもってエンディングのランクが序列づけられているのは、「 >仲間が死んでいいわけがない」というえらくストレートな価値基準の設定で >あろうし、さりとて他の楽しみ方も否定しない ま、私が自説の賭博性理論の実践を兼ねて、戦友が死ぬと、それを復讐の動機と して気分を盛り上げるなど、無力感をも楽しもうと取り組んでいたこともありま すが… あの世界設定を真に受ける必要はたしかに無いとはいえ、一度受け入れたなら、 人間性など全く意味をなさない世界なわけで。恋人が戦死しても、「どーせ次の ループでまた会える」としか思えなくなったり。芝村の技術力を持ってすれば、 人間の感情や記憶も自由にいじれそうでありますし。そんな世界であえて恋愛謳歌 とか仲間の命を守れという目的をほのめかすのは、ストレートといえるのか… いやもう、言えば言うほど先方の術中に落ちるんですが。
ガンパレなりエヴァンゲリオンなり、およそフィクション作品なるものに 心かき乱される可愛さの余った百倍憎さとか、ソフト側の底意地とかの感受 とかが、まったく他人事としか感じられなくなっていることの複数の自分史 的起源に思い至らされてしまった折りなんですが。 「自由度ゲーム」のくせにランク付エンディングがあったり、全然サービ スになっていない目的性提供があったりするのは、嫌味でも批評でもなんで もなく、事情の異なる他人たるプレイヤーへのすがすがしいまでの無関心だっ たのではないか、と考えるに至ってます。 このへん、小賢しい脱構築ではなく子供っぽい「全能感に裏打ちされた破 壊衝動」と解されたKAさんの見方に、「天然さ」という意味で半分ほどは 同意なのですが、そこまで脱制御な「破壊」は実はそれほど検出できないの では、という気がするのですね。 幻獣側への肩入れはともかく、すべての仲間たちをとにかく死なさないよ うにすることをもってエンディングのランクが序列づけられているのは、「 仲間が死んでいいわけがない」というえらくストレートな価値基準の設定で あろうし、さりとて他の楽しみ方も否定しない。 ゲーム中で示される「芝村」の概念は決して「全能の神」ではないですね。 まちがいなく強者ではあるけれど、無闇に超越的な立場から弱者を操ったり 従わせたりするのではなしに、ときには政治的に対決したり利用したりつつ、 特に必要がなければお互いのやりようでそれぞれ勝手にやっていく、みたい な態度が舞の台詞なんかからも伺えたと思います。 一部のプレイヤーが感じた悪意や非人間性ないし無人間性なるものの正体 とは、ごく素朴な「他人の素気なさ」ではなかったかなあ、等々。
道具立てが基本設定から世界の謎に至るまで マクロスとずいぶん重なるところがあり 私の解釈はそれに引っ張られてしまったようです。 ゼビウスの遠藤氏がゲームを面白くする方法として 「100万人のうち1人しか手に入らないアイテムを用意する」 と語っていたのですが、対照的にガンパレは、若干のトライアル&エラーを 繰り返せば確実にアイテムを手に入れられるという方法が前提にあって、 プレイヤーが実力で介入しきれない世界を与えようとする 精神が実は希薄であるともいえます。 (慣れれば簡単な戦闘も同じ理由からでしょう) そうなると、プレイヤーに全能の神の属性がついてまわる 嫌らしさは必然だとも考えられますが、どこまでが確信犯なのか 考えるのもガンパレを知る上でのポイントなのかも。
ガンパレの性悪なところというのはメタ仕掛けの部分に限ってのことばかりではないようで。 じつは、Sクリアしようなどと思った瞬間に全ての行動はただの作業になり、 世界の謎を解こうなどど思ったとたんに、情報というアイテムを収集し、世界設定という アイテム図鑑を埋めるというコンプリート指向のゲームに変貌するという悪魔のやうな 仕掛けになっております。 一部のファンが、あれだけ「自由度」の高いシステムなのに、ランク付きエンディングなどの 不粋なモノがなぜついているのかといぶかしんでいるようですが、その疑問も当然でしょう。 単にプレイヤーへのサービスとして明確な目的を設定したというのでは説明の付かない部分を感じます。 どうも自分たちが作り出した精密な自由世界を自分で破壊することを楽しむというノリになっているの ですが、これは決して脱構築的小賢しさによるのではなく、子供がせっかく買ってもらった玩具を もっぱら分解することに楽しみを見いだすというのにも似て。 あるいは、人の命など作るのも壊すのも自由自在なのをよいことに、信者の信仰を試すために やたらに死んだり殺したりすることを要求する旧約聖書の神サマの残忍さ。 ゲーム中のことばで言えば「芝村的」。 このような、「全能感に裏打ちされた破壊衝動」というのは、わたしゃ桝田省治の好みとばかり 思っていましたが、アルファ・システム側の属性なのかも。
メーカーサイトが同人そのままの短編を用意したり、 芝村にはモデルが実在するとか、掲示板でレスをつけている 製作者は架空の存在である、などといった現実側のアプローチが 結果的にユーザーの顰蹙を買ってしまったあたりにも 繋がっているかもしれません。 全体を好意的に解釈すればユーザーの思い入れを 暴走させずに手の内で収めたいということでしょう。 それが本当に正しいかどうかは別ですが。
たしかに放ったらかしの自由と違う、というより 製作者の意図したガイドにいちいち乗せられているな、 という思いで肩がこるような感じはあります。 でもそれは、メタらなきゃ、とかこれは冗談ですとか、 いちいち相対化しないと相手にわかって貰えないのかという ここ20年ほどの病に直結する話ではないかと。 キャプテンラヴはその暗さを隠さなかったわけですが、 ガンパレは時間ループから逃れられない辺りからして、 肝心なところで冗談に逃げてしまったことは否定できないです。 以上の点を踏まえた、わたしのガンパレの感想。 「それでも、マクロスよりマシや」
>当該サイトは「森の十字路」と名称変更され、管理者様のハンドルも変更され、 >現在以下のURLにて活動していらっしゃいます。 ああ、どおりで見つからないわけだ。 わかりました、ありがとうございます
まさかこのような急展開になろうとは。 とはいえ私も、ガンパレよりPSOに惹かれていたり。 皆が激しくアイテムを求めつつも、アイテム図鑑なんか全然つくられなかったり、 より強いアイテムが手に入れば古いのはお役御免になったり、挙句にはフリーズで アイテムロストしたり(苦笑)、「過程を楽しめ!」という俺好きメッセージが ひしひしと伝わってくるのです。 こういった理由から、割とソロプレイも楽しんでいたり。 あ、ひとつだけ図鑑めいたものがありました。パーティを組むプレイヤー同士が 交換する名刺「ギルドカード」です。
>ken様 >あの〜リンクにある『七ちゃんの部屋』に繋がらないのですが、リンクミスでしょうか? 私の怠慢によるものでした(汗) 当該サイトは「森の十字路」と名称変更され、管理者様のハンドルも変更され、 現在以下のURLにて活動していらっしゃいます。 http://www.ai.wakwak.com/~tsuki_san/
僕の場合、あの種の底意地の悪さを自分の中でわりと中和できてしまうので(理由なんか言いたくもなし)、それにについてまでは鈍感さからさして考慮が及ばず、話題に出来なかったところもあるかは知れません。 いや、テーマの広げすぎを避けるためにあえて、ということもあるにはありますが。 >恥ずかしいくらいの「お人好しぶり」 ああ! これはぜんぜんないや(笑)。ガンパレには。
はじめまして、私はkenという者です あの〜リンクにある『七ちゃんの部屋』に繋がらないのですが、リンクミスでしょうか? いや、ここのHPを探していたもので・・
巷で話題の「がんぱれ」なるものをようやっと遊んでみましたが。 かなり楽しませてもらったのにも関わらず、私は究極的にはこのゲームが 嫌いなのだという結論を得ました。あたかもアル中が酒を憎むがごとく。 WizardryやUltimaといったゲームからどことなく感じられた、恥ずかしいくらいの 「お人好しぶり」を楽しむことを原体験としてもつ私にとって、ガンパレが持っている 底無しの人の悪さは、最終的には相容れないものなのです! がんぱれがwizの血を引くという説は、うそだと思いますよ。 確かに私も、群体AIによって、けちくさい心理学的解説から解放されたキャラの 姿や、生き生きした軍隊ネタに強く魅せられましたが、これらは、最後には否定され、 破壊され、嘲笑されるという目的のためだけに作り込まれたものなのだという直感が あります。このゲームの主題を強いて言えば、非人間性ならぬ「無人間性」か。 今にして思えば、こういうのはアルファシステムの過去のゲームにも、ときおりチラッと 見え隠れしていた気もしますが、この辺のことがまともな文章にまとまる日が来るのかは 不明。 いじょ。
アイテム集めとアイテム図鑑とでは、かなり異質に感じますね。 前者はゲーム中の満足を、後者はゲーム終了後の満足感をプレイヤーに 期待しているものかと思われます。有体に言って中古売却阻止策。 ゲームで遊んでいなくても、遊び終わったゲームを持ちつづけることが 楽しいと思わせる方策ですね。 ああ、またWizから離れた話になってしまった……。強引に修正。 >運を天命として我が事と感じ、一期一会を楽しむ そのために重要なのがオートセーブの要素でした。PC版でキャラクタの バックアップ方法が発覚したときには驚いたものでした。 ファミコン版のターボファイルにキャラクタのバックアップ機能はあった のでしょうか?
>ここらのことで穿った解釈を加えようとすれば >もうやりたい放題ですね。 そのへん、自分でもさすがに話が拡散しすぎという気もしてきた。 ゲーム体験としての賭博性と、テキストの中に現れる主題としての賭博性との 関連は、もう少し細かく分けて、あとで書いてみるかもしれません。 ******** ところで、wizの楽しみを、運を天命として我が事と感じ、一期一会を楽しむも のとする今回の議論から見ると、 GB版wiz1,2,3や最近の国産wizに見られる、アイテム図鑑のような趣向は、 決められた量の穴埋め、クリアを楽しむというその性質上、オリジナルの wizとはやや異質な要素ということになるのかなとも思った。wizのアイテム 探しの楽しみは、いまどきのゲームに多いカタログ作成欲求に直でつながるもの なのか?とか。
>脱衣麻雀ゲーム それゆえにありゃもう誰にも賭博だとは信じられていないわけですが、そのプチ 実力主義的な特性こそは、社会的にもゲームシーンにおいても賭博性から疎外さ れがちな人を楽しませる役に立つのでしょう。 ヒラリーマンとヘタレゲーマーに愛好されてきた所以です。 >ゆう坊関係 あとね。堀井雄二に絡めるなら、やっぱ糸井重里も忘れちゃならないと思うの。 なにしろMOTHER2の最終コマンドは「いのる」なんだから。 糸井氏がゲーム作りにあたって意図したことが何かといえば、それはやっぱり 「ゲームが見失っていた」何かについてを告発し、それをゲームの中に少しなり とも回復させていくことに他ならなかったのだろうと思われるわけですが。 それをたった一言、たった一仕様で表わしたモノたちこそが「うたう」「いのる」 だったんではないかいなーとか。ここらのことで穿った解釈を加えようとすれば もうやりたい放題ですね。 ちなみに僕はあの画面表示を見たとき、なぜかそうしなければいけないような気 がしたので、モニターの前で思わず両手を組んで祈っちゃいましたよ。マジ。
堀井雄二作品アレルギーの私がこの話題に乗っていいものかわかりませんが。 >あれは賽を振ってる音だったんですね。 すると、戦争直後の闇市で麻雀を打っていたというすぎやまこういち先生は 強力なブレーンであると推測されます。ドラクエ最盛期のころに 「アリアリ麻雀をやるぐらいなら、チンチロリンの方がまだ面白い」 と発言なさっていましたし。運三技七は黄金率か。 で、アリアリ麻雀が幅をきかせる脱衣麻雀においては、勝負の運命が 配牌の運や役作りの技ではなく、ただイカサマ合戦にゆだねられており。 コンティニューするための経済力こそが運命を支配する最大の決定力で あるという点が、その市場特性をあらわしていると思います。おそまつ。
モノにもならん理論的整理などうっちゃって連想を繋ぎますと。 >TRPGではプレイヤーがサイコロを振るわけで、賽を振る瞬間には、つい念を入 >れたりするなど、だれでも運に敏感になるのだった。 >ならば機械に賽を振らせるようになったことが、コンピューターゲームから運 >と実力のダイナミックな関係が失われた原因の一つか。サイコロってやっぱ >いっぱしの呪具なんだなーとか思うと怖え。 よく日本語テキストの味わいをもって「呪術的」と評されるドラ クエに何が受け継がれたかといえば、戦闘シーンのSE演出におけ る「ピロリロリッ」と「バシッ」の間の微妙なタメだったりするの かもしれません。 あれは賽を振ってる音だったんですね。だから我々は「たたかう」 ボタンを押すときに会心の一撃を祈念したり、絶体絶命の場面から 「にげる」ときに思わず目を伏せることができたのだ。 wizの場合はかわりにエンカウント時、突如静かな部屋にディス クアクセス音が響きわたって心臓を凍らせたりしましたが。 このへんの天命任せの賭博感覚が、なるほどわかってたんだなあ、 堀井雄二は。 >賭博と呪術と恋愛ゲームってことで言えば、(略) >そのへんの事情は「女性向けときメモ」に反映されるのでしょうか。 このあたりについては我らがハカセがすでに四年前に触れてられる ではないですか。「おまじない」と「戦略」との光栄ブランドにおけ る奇妙な接合ってやつを。 http://homepage1.nifty.com/sawaduki/game/sawa/ange.htm/ まあ確かにこのあたりの境地からすれば、キャプテンラヴですら、 やはり別の実力主義にとらわれた近代的男性的ロマンチズムなのだな あ。 というかその妥協をゆるさない貫徹なのか。
>伝統的なテーブルゲームには易にルーツを持つものが多くて、そのためなのか大 >抵のものはここで言うところの賭博性を生じさせてくれるんですよね。 それを聞いて気がつきました。 wizの賭博性がどこから生まれたか分からないと書いてしまいましたが、 TRPGではプレイヤーがサイコロを振るわけで、賽を振る瞬間には、つい念を入 れたりするなど、だれでも運に敏感になるのだった。 ならば機械に賽を振らせるようになったことが、コンピューターゲームから運 と実力のダイナミックな関係が失われた原因の一つか。サイコロってやっぱ いっぱしの呪具なんだなーとか思うと怖え。 >そんな「テレビゲームを体験した感性 >ゆえの、一般に通ずるトータルな世界観」を理論化しうる準備が整いつつある >なという感触のみ。 まあ私は例によって理論的にはあまり整理されないまま文章の流れで押し切って おります。 ときメモ=Wizardry説を強引に拡張しようとしたあたりで、理論のあいまい さが露呈してますが、最後にひとつ。 賭博と呪術と恋愛ゲームってことで言えば、恋愛うらないは女の子を中心に盛況 ですが、「金持ちになれば、出世すれば、メディアで名前が売れれば、女なんて 選り取りみどりだ!」という考えに追い立てられがちな男の子の世界とはことなり、 やっぱ、女として生きていく上では、恋愛のどこまでが実力なのかの解らなさは よりはっきりと感じられるものなのかもしれません。 そのへんの事情は「女性向けときメモ」に反映されるのでしょうか。
いやはや感服いたしました。 自分も思うところあってwiz以来のRPG体験史をまとめていたところでしたが、 どうにも「競技としての戦略性」→「自己表現的な模擬遊び」の変遷という相 においてしかとらえきれてなくて、考え方の大幅な修正の必要を思い至らされ ましたよ。 ここでの関心からすると脇道ですが、カイヨワ的に遊びのルールそれ自体の 内在性質として運/競技をとらえるのでなく、プレイする人間の精神的態度と してどちらもが渾然とした「賭博」を考えることは、まじでアカデミックな遊 戯論の深化・新展開に繋がる目もありそうな。つまり遊びとは本質的に制御不 能な現実に対面して人間がとる精神医学的なストレス応答反応の延長上にある ものだみたいなものだとも読み換えられはしないかって。 まあいずれ世間が必要としたときに、そんな「テレビゲームを体験した感性 ゆえの、一般に通ずるトータルな世界観」を理論化しうる準備が整いつつある なという感触のみ。 期限は、次の太平洋戦争(ないし日本海戦役)が起こるまでってことで(笑)
伝統的なテーブルゲームには易にルーツを持つものが多くて、そのためなのか大 抵のものはここで言うところの賭博性を生じさせてくれるんですよね。コンピュ ータ(ビデオ)ゲームがあまりそのように作られなかったのと比べると大違い。 このことはやっぱり、かつての演算装置が軍事的・科学的な面での合理的意義を 大きく担っていた一方で、個々の生活の中に息づいている数値化できない価値観 の前にあってはイマイチ具体的な意義の見えないものであったことと、あながち 無縁でもなかろうと思えます。 そのように考えていくと初期のコンピュータRPGには、主に西洋ファンタジーを 題材とすることによってコンピュータの生活文化への寄り添わせを促していくと いう、なかば無意識的な試みが仕込まれていたのかも知れません。異論はあると 思いますが、そうした数々の試みの中で実はWizこそは、コンピュータゲームを 初めてポーカーや麻雀と同様の生活娯楽にまで落とし込めた例ではなかったか? みたいな。
結果よりも過程に期待するという観念の持ち方は、わりと日常的なものだと思え ます。一方、過程も結果も含めてすべてを天命として受け止めるしかないとまで 思い定める賭博的な思想は、その突き詰め方においてかなり非日常的であるわけ で、つまりヤクザだヤクザ。 ときメモが後者的な価値判断を促すツールなのだとしたらそれは凄い!凄いけど 僕いややー。
賭博という言葉には違和感バリバリですが、おっしゃるところはわかります。 ときメモのシナリオにおける予測可能性は、結果の出る出ないにかかわらず 揺らいでいます。たとえば詩織が美樹原を紹介するイベントは、詩織が単に 鈍感だったのか、美樹原の頼みを断りきれなかったのか、あるいは単なる当て馬の つもりで紹介したのか、現在に至るまで解釈のわかれるところです。 極端な言い方をすれば、結果が期待どおりであるか以前に、結果よりも過程に 期待せよという意図を、シナリオやデザインの端々から感じます。 >パラメータ PCEでは期待どおりの結果が出るまでやり直させることを意図し、PS以降では 期待どおりの結果が出たらさっさと次の期待値へ向かわせることを意図している ようです。
有名なカイヨワによる運の遊びと競技の遊びという区分がありますが、 あれなんかが運を遊びのルールに内在するものと捕らえているのに対し 今回、運はあくまでもプレイヤーが主体的に見出すものと読み変える事で より私どもの体験につながる議論をしようという意図があったのだと 読んでもらえると、俺的には棚からぼたもち。
> 選択に対応した結果は予め定められております。 いや、ここでの投機性は、予測可能性のことなのであります。 もちろん繰り返しプレイすれば答えは分かってしまうんですが、 実恋(へんな造語)においては最初の一回こっきりしか答えら れないのに手がかりはほとんど無いという意味です。 ランダム性と賭博性とは、今回の文脈では違う意味をもたせております。 やや良くない用語法かもしれませんが。 ルールの問題ではなく、プレイヤーが自分にはコントロール出来ないと おもったところに賭博があるわけで。 むしろパラメタ上げの揺らぎについては、PS版しか知らないため 解りませんが、PSに限っては、乱数性は長期的には平均値に収束する ように見えましたが…
*ときめき 三択要素に投機性はございませんです。 選択に対応した結果は予め定められております。念のため。 ランダム要素は主に自分のパラメータをあげるときのものなんですが、 パラメータを上げる動機は自分を女の子の好みに合わせるというもので。 KAさんの仰るところは当たらずとも遠からずといいますか、妙に的を 射ているといいますか。 *正当後継者 http://www.alfasystem.net/game/gp/saijiki_00.html
かつて恋愛階級論をぶちかましていた私は恋愛実力説をとるものと 思われるかもしれませんが、そもそも階層階級というのは、生まれ の運が実力を生むという、運/実力の区別の無意味な領域だからな、 と過去の議論との整合性をとりつつ。 [ときメモ賭博説] 私の場合、ときメモといえば、やはりあの三択式好感度増減。 なかには推測可能なものもありますが、よく考えればただの運でしかないという。 しかし今にして思えば、ただの運だのみの当てものでも、そこに勝手に 必然性を感じて「あーなぜオレは女の子の気持ちが分からないんだー」と 悶絶するところに、あのゲームの要点があったのではないかと。 すると、所詮どんなに自分を磨いてもダメなときはダメな男女の仲にあって、 「誠意を尽くしていればいつか気持ちが通じる」と、合理的根拠抜きで信じ込む 意志が恋愛だという、それがときメモの恋愛観なのか? と、自分で言っておきながら多分に詭弁くさいですが。 ******************** > 矢本さん > 実は一つの価値観のもとにゲーム > 体験を集計していこうという意思の表れであり、それは僕らの体験の共有のため >にぜひとも求められていたもので、実際その方面で大いに貢献し得たのでした。 やはり、思考型ゲームの世界では「自由度」イデオロギーに相当するものかしらん。 稚拙ながらも、自分の体験から本気で信じられる価値観を抽出できたのは、ゲーム の青春時代に携わった人を特徴づけうることだと思います。
とっさの思いつきですが、アクションゲームが実力だけではどうにもならぬ「賭 博性」を排斥し、経験重視の「戦略性」に傾いていったことの背景には、アーケ ードにおけるスコア集計システムや、コンシューマーにおけるやり込みコンテス トの成立も要因の一つとして暗に見え隠れしているように思えてならないのです。 そもそも実力達成度を集計するという試みは、実は一つの価値観のもとにゲーム 体験を集計していこうという意思の表れであり、それは僕らの体験の共有のため にぜひとも求められていたもので、実際その方面で大いに貢献し得たのでした。 かくしてアクションゲームからハイローラーは駆逐され、ハイスコアラーとその 取り巻きが行き場を与えられるに至ったという、これもひとつの勝敗にまつわる お話。 博打の世界というのが、本来的には一匹狼達のつかず離れずの関係の中にあるの に比べると、こうして友達世間と化していったゲームシーンには、やっぱりちょ っと微笑ましい(見方を変えれば温い)印象を拭えませんのね。むろんそのこと 自体を悪く言う必要はないでしょう。むしろそうしたゲームの「お遊び」化と、 そうならないことには始まらないような体験の共有化こそが、今に至って「ゲー ム世代」という自分たちの分際を計る上での有用な物差しになるべき概念を我々 に与えてくれているのでしょうから。 しかし、このような友達世間の延長線上に今のライター世間があることを思うと、 そうそう呑気に構えてもいられなくなってきたかなあという気持ちも新たにせざ るを得ません。もしも、そうしたタコツボの中で役にも立たぬ諸々のゲーム俗説 が定説化し、それが例えば文壇世間のような、まさに運命への敏感さを欠落させ たとしか思えぬばかりか本来適切にあるべき実力の価値すら無効にしかねぬ権力 体制を成立させていく礎にもなっていくのだとしたら、ゲーム世代なりの身の建 て方を考えるというあの最も重要な問題はどこいっちゃうの〜って思えますから。 ともかくも、個々のタイトルとの関わりに留まらずゲーム体験の全てを不条理の 集積と理解していた者の一人として、WIZ賭博説は大変に興味深く読ませていた だきました。精がつきます。なんか我田引水ぎみですいませんが、こういう観点 から見てもwizardryには考えるヒントがありそうです。
Wiz賭博説。目からウロコ。 >ときメモ賭博説 PCエンジン版に限って言えば、大筋の攻略法は存在するが、理詰めで攻略 しても告白されるかわからないドキドキ感がありました、確かに。 PS版以降は「絵集めゲーム」という別物に化けていました。 私個人はそれぞれを評価しているつもりですが、片方のみがお気に入りの 人は、もう片方がお気に入りの人と意見が合わなくても仕方ないかなあ、と いう気はいたします。
>「生きるために私は殺す」 なんかそんな↑に追い詰められてる風でもないですよねあのゲーム。 んで、以前ぼそっとつぶやいていたwizardryねたを上げました。 ときメモ賭博説は追ってこの掲示板で。
影牢で検索してこのペ-ジ見つけました ゲ-ム雑談読ませてもらいました いままで気ずかなかった自分の心理?におどろきです。
いや私も「モリコ」の白黒広告に衝撃を受けたころを思い出しました。
はじめまして、スタジオWINGの武田と申します。 この度、スタジオWING設立を記念して下記のような盛り沢山の企画を満載した ホームページを開設致しました。 ---------------------------------------------------------------------- 主な企画 1.80年代の当社製品版(MSXなどのゲームソフト)の無料ダウンロードサービス。 「白と黒の伝説・百鬼編」MSX版 「白と黒の伝説・輪廻転生編」MSX版 「白と黒の伝説・アスカ編」MSX版 「魔宮殿」MSX版 2.超能力を題材にした最新ゲーム「白と黒の伝説・真百鬼編」Windows版の体 験版をダウンロードサービス。 3.当社作品「怨霊戦記」の原画展を展示しています。 4.当社が80年代に販売した音楽テープをMP3にて無料ダウンロードサービス。 ---------------------------------------------------------------------- もし、ご興味がございましたら当ホームページへアクセスを宜しくお願い致します。 スタジオWINGホームページ http://www.st-wing.com/ ----------------------------
という某洗濯柔軟材のキャッチコピーを思い出したり。 >言われてみればたしかにそうですが、そういう問題提起はなぜかあまり >聞かないです。 説1:フライトモデルの精度を優先し、フレーム数はあきらめている 説2:処理の重さと機体の重さ(慣性)を混同している 後者はプレイヤーの方々に失礼でしょうか。 >なぜか3Dシューティング界の方が、FPSを気にしていたりするような気も。 処理も慣性も、ともに自分に対するしがらみとしては同質だと考えて いるのかもしれません。
操作面でのことかあ。 >60FPSが30FPSに減る >ということは、ターン制シミュレーションの2ターン中1ターンが操作 >不能になるのに近いぐらいのダメージがある、と考えています。 言われてみればたしかにそうですが、そういう問題提起はなぜかあまり 聞かないです。むかし3Dカード普及以前のフライトゲーム、15FPS位で やってたとき、敵機に追従するのむつかしかった… なぜか3Dシューティング界の方が、FPSを気にしていたりするような気も。 一方、洋モノフライトシムでは、解像度が低いと遠距離の敵影が 識別できず困る場合などあり、ゲーム性の違いに関わる問題なのかな… 当初の疑問に全然答えられてませんが。
を目的にフレーム数を稼ぐ方はいらっしゃるでしょうが、個人的には 単に遊ぶための要求であったりします。 個人的には640*480pix,60FPSが出ていれば……。 速度ベクトルで位置を制御するゲームの場合、60FPSが30FPSに減る ということは、ターン制シミュレーションの2ターン中1ターンが操作 不能になるのに近いぐらいのダメージがある、と考えています。実際、 某レースゲームで画面オブジェクトを減らすと簡単に1秒以上タイムが 短縮できました。 宇宙ロケットがわずかな誤差で明後日の方向に飛んでいくことや、 自動車制御技術がミリ秒単位の処理を追求していることを考えれば それらを模倣する手段にも同等の精度が欲しいところです。
わたしもオフライン専門のため良く分かりませんが… ネットでの遅延はゲームによって差があるようですねえ。真面目に計算 してるやつはやっぱ…? FPSとえば、PCゲームの場合、TVモニタのようなにゅるにゅる感は 出ないよーでもあり。 60FPSでも、高解像度で、ドット単位で観察すれば「飛んで」るし。 最近のビデオカードではその辺独自に対処するものもあるようですが、 わたしはむやみにシャープな画像で「この映像が結局ぜんぶ点でできてるなんて すげー」とか言ってデジタル感を楽しむのも好きかもです。
DCでも通信対戦に対応したようです。 http://www.cric.co.jp/release/00/r0907_1.htm フレームレートの高いフライトシムを通信対戦させるときの問題は、 通信が一瞬でも途切れると誤差が雪だるま式に累積することでしょう。 カーレースよりもはるかに広い座標系を飛んでいますし。 ふつうのPCフライトシムを通信対戦させるときは何FPSぐらいで 動くんでしょう? ↑PC通信対戦未体験者のうめき
>操縦管が機体に直結していたのはいつごろまで? えいと、これはフライバイワイヤ(電気信号化)のことでしょうか? (油圧システムは手応えがありますけん) おおよそ'70年代あたりから見られ始めた技術だと思いますが、今でも 油圧システムはもとより、機体の規模によっては操縦桿と舵を鋼線で直結 しているものも存在します。 いっぽう軍用機ではフライバイワイヤもデジタル化され、F-16に至っては 感圧式のため操縦桿が動くことすらないそうです。 (もっとも、全く動かないとパイロットも力加減がわからなくて疲れるため、 「対策として」わずかな遊びを設けているとか)
↓ゲーム断ち状態が続いている私めですが、チェックはさせて頂きます。 DCでネット対応がなかったのはどうしてなんでしょう。 やはりMicrosoftの振動ジョイスティックに対応したりするんでしょうか? MSのアレは、振動うんぬんよりも、バネもモーター仕掛けであるため、 大きく倒しても小さく倒しても戻り力が一定という独特の触感 が面白いアイテムだと思います。 一般の米国製ジョイスティックなどはどうもバネ周りが荒々しい感じが。 自分でバネを切ってみたりする人も。 実機ではどうなんでしょうか。操縦管が機体に直結していたのはいつごろまで?
ドリキャスを持っていなくても、これでバッチリ。たぶん。 http://www.cric.co.jp/fpc_monitor/
コミケ巡礼等は見合わせておりますが、 何とか別ルートをば>知られざる一面
ここんとこ呪われたように忙しかったので、話題のゲームのほとんどにまるで 手付かず状態。というわけで、ようやっと本作れたです。 詳細はこちら↓ http://yam.tri6.net/ そうそう、KAさんにはぜひとも進呈しないと。 なんてったってあのお姉さんの知られざる一面が…
指摘された部分についてはとりあえず読めるようにはなってます。 しかし読み返して見ると今とは考えの変わってしまった部分も多いし、 何とかしなければとあらためて思う。 しかし、「カタチと中身は一致するべし」というのは、昔っから書いてる テーマだったんですね。
久しぶりに読み返していただいたのに、検査まがいのことを させてしまって申し訳ないです。追って修正いたします。 この期に私自身が読み返すべきところなんでしょうが…
久しぶりにコンテンツを読み返させてもらっていましたが ■PS版発売祝い:同級生2の世界観 ■EVE burst error論:おたく文化とハードボイルドの奇妙な関係 のリンク先が、現在リンクがコメントになっている ■岡田斗司夫ちょっと批判:あるいは主旨表明その2 のdoc/syushi2.htmlになっています。 一応御報告まで。
ゲームとして素晴らしいからこそ、ときメモを支持するのだ! という意見に「え〜ほんと〜ぉ?」といった具合に疑惑を表明すると、どういう ことになるんでしょう。 前から思ってましたが、あれは藤崎さんに対して実に失礼な言い草だと思います。 照れ隠しにしてもブキッチョすぎます。
>怖くて言えない では私が。 ある男は藤崎詩織を本気で愛していた。ヘボ絵と言われようと気にも留めなかった。 しかし時は流れ、世に絵のレベルが高いギャルゲが跋扈してくると、なおときメモに 執着する理由を合理的に説明できなくなり……。 いや、合理的に説明する動機自体がどこかへ行ってしまったので、いいです私。
ときメモWIZ説と照らし合わせると… 怖くて言えない
今まで怖くて言えなかったのですが。 Wizardlyの世界におけるストーリーを想像すること、というよりも 「Wizardlyの簡略化された表現がプレイヤーの想像力を掻き立てて云々」 というエピソード自体がプレイヤーによってデッチあげられた、 プレイヤー自身を描いたストーリーなのではないかと感じております。 以下、個人的回顧: 別段キャラクターの姿やダンジョンの風景を想像などしなくても、 村正探しやグレーターデーモン養殖は楽しかったはずでした。 しかし時は流れ、ゲームの表現力が向上するにつれ、かつてWizを プレイしていた人々はその面白さを合理的に説明できなくなり…… 以下略。
>つまりやはり、「物語じゃねえ」という人は実は「物語」がイヤなんじゃなくて、 >「自分が創作に関わっていない(関わった覚えのない)物語」がイヤなんでしょ。 >なぜならそれは本来、自分のためにあるものだったから。 たしかに、むかーしの自由度イデオロギィは、創作への欲求だったと私自身 以前の文で書いちゃってますが… 最近のソレの場合、単に取ってつけたような、全体と調和の取れない ストーリーへの違和感の表明じゃないのかなーと思ったりもしましたが、まあ それは好意的な解釈と言うものかもしれません。 >一年後くらいに公表するつもりでいます。コミケで。 では、私、次回はWizardryネタ(また古)を蒸し返しつつ、 表現技術と演繹的ストーリーテリングにからむ話題を継続する予定。
でも鉄っちゃんやオーディオマニアが「線路は〜」「アンプは〜」とか言うとき、 そこに物語否定のイロがついている風ではないんですよね。あんまり。野球など、 すんなり「筋書きのないドラマ」として認知されちゃってますしね。思うに、や っぱこれってカウンターカルチャー(立場が弱いがゆえに反抗せねばならなくな った者の文化)として発育したジャンルが帯びる特性じゃないのか。 一方、最近僕が調べたことからすれば、特に一昔前のゲーム雑誌の読者コーナー に寄せられたネタハガキ全般からは、そのジャンルについての露骨な物語志向が 読みとれるのですよ。 つまりやはり、「物語じゃねえ」という人は実は「物語」がイヤなんじゃなくて、 「自分が創作に関わっていない(関わった覚えのない)物語」がイヤなんでしょ。 なぜならそれは本来、自分のためにあるものだったから。 このあたりの考察と結論についてはすでに腹中にありまして、一年後くらいに公 表するつもりでいます。コミケで。 ああ、あとロック日本語論争なんてのも思い出しました。「ロックは日本語で歌 っちゃダメだ。英語英語!」ってやつ。これの場合、日本語が物語に相当する概 念で、つまり日米安保条約問題にまで足がかかっています。すげー。
追記>ゲームは映画じゃねえ物語なんかいらねえとか ゲーマーの言葉のなかに、映画と物語が結びついて出てくるのは興味深いこと だと思います。かつて、一部の映画マニアが、「映画は物語じゃねえ(映像や 演出だ)」と主張したことを思えば。 また、前衛絵画などの書き手は、絵の中に人物の生活や行動を描くことを 「文学的」といって批判し、色と形だけで絵を描こうとしましたが、一方文学 のマニアは「文学はストーリーじゃねえ(文体と詩だ)」と叫んでいたのだっ た。コアな人達にとって、ストーリーはいつも悪者か? この種の「技術指向」は結局あらゆるジャンルに見られることなのかもしれま せんし、技術指向が自己目的化すると、一般人おいてきぼりの、無駄に難解な ものが出てくる傾向も見られます。 ただ、よいストーリーやテーマというのは、頭に浮かんだ時点であるていどの 形をともなっているものだという気がします。形をともなわない思想は、それ が受け売りだという証拠だ、というのが私の立場。 あー、カタチと中身が一致する生き方がしてぇー >気付きませんでした。 トップページにある程度情報を集中して展開しておくべきところですか。 そういや数年前には、トップページのリンク数は4〜5個まで、というホーム ページ設計理論を良く聞きましたが、いまさらソレを守っているこのページ って何だかな。 >本物志向は本物であるとの思考に縛りつけられて、 飛行機の魅力を伝えたいという目的意識にもとづく本物志向もありうるのでし ょうが、数字を合わせることにこだわりがちということか…
>「飛行機は好きだけどPCのスペックには > 興味ない人間がフライトシムに手を出すとどうなるか」 私は地上視点でラジコン操縦を楽しんでおります。 ビルの谷間をくぐり損ねて激突すること多数。 (参考:ゲイツフライト) >フライトシム話 『ラリークロス』や『ディストラクションダービー2』等の 転んだりクラッシュしたりする方が本道の遊び方である レースゲームに無心ではまっていた時期を思い出しました。 複雑な計算式をネジコンで制御する楽しさがあります。 本物志向は本物であるとの思考に縛りつけられて、 その楽しみ方を感じる余裕がまるで持てません。
すみません、フライトシム話がアップされているのに 気付きませんでした。 んー、で私は「飛行機は好きだけどPCのスペックには 興味ない人間がフライトシムに手を出すとどうなるか」 やってみたいと思います。まとまった文書にするか否か 未定ですが。 ※おまけに実施時期も未定
>ハンパに実作的ディテールのオモシロさを取り入れようとし >て奇矯になった修辞系論説の醜さのこととかが頭をよぎりました。 あ、それって具体例がピンとこないや。 >ゲームは映画じゃねえ物語なんかいらねえとか そういうことを言われやすいのはよく考えてみると特定のメーカー だけのようで、実はゲーム一般の現象ではないかもだわ。
評論と実作に求められる資質の何が違うかつったら、そういうことですものね。 >>心理学的演繹作劇とモノやディテールを描く技術 影牢はわたしやっていないけれど、お定まりの心理学系サイコフィクションと 対をなすものとしてハンパに実作的ディテールのオモシロさを取り入れようとし て奇矯になった修辞系論説の醜さのこととかが頭をよぎりました。 それはともかく、メタルギアソリッドの時にも書かれてましたけど、ディテー ルのつくりこみではじめて実現されるたぐいの人間や世界の描写があるというこ との指摘というのは、ゲームは映画じゃねえ物語なんかいらねえとかのよくある 素朴な心情に、ようやっと見出された説得性ある根拠なのかも。ゲームの体験の ひとつの特色を説明するための。
すまんことです。
影牢の文章なんですけど読み込むべきcssファイルが見付けられないんですけど・・・。 多分、パスを表記するスラッシュがバックスラッシュになってる所為だと思うんですが。
構想したのが昔だってのもあって、 蒼魔灯とかの情報はぜんぜんはいってないのよねえ。
昔の記憶だけでページをもたせようって腹でやってみました。
>来るべき破滅の予感のようなもの おっと、これって満州事変〜敗戦のことでしたかな。だとしたらそんな気配はかけら も伺わせずによろしくやっています。それはそうでしょ太正大正から見た昭和なんて、 イモ臭いことこの上ないはずですから。
帝国華撃団の一員であるマリアという白人女は、かつてロシア革命に関わっていたら しいんですよ。どの面下げて日軍属に加われたんでしょ。わけわかんねー!
>来るべき破滅の予感のようなもの そういや恐慌はしっかりありましたねえ。魔物の襲来のせいでということでしたが、 資本主義とはまったく関係ありません。 米騒動はありませんでした。きっと舞台が富山ではないからです。 震災というか大破壊についてならば、アルマゲドンそのものがなぜか日本で起こりま す。でも元のさやに収まります。たぶんそうしないと次回作に続けられないからです。 >暗いサクラ大戦 どのみちそういうグッと来るようなのはたぶん、KAさんにしか売れません。野え〜。
いろんな意味で追い詰められているので〜ゲームネタ話ができなくて すいませんです。 >『サクラ大戦』 未プレイであります。 >「太正」という設定の強度 一般にオリジナルの大正市民文化が、震災と恐慌によって後世によく継承される ことなく滅びた、時代的に隔絶した世界であることが要因のひとつと言われますが、 来るべき破滅の予感のようなものは、サクラ大戦ではどう料理されたのでしょうか? #アナキスト太杉栄となって、同志との爛れた恋愛を経験しながら蒸気メカで戦う 暗いサクラ大戦(エロゲー)とか出ませんか。 うそです。やっぱいりません。
『サクラ大戦』はおととい終劇。近代も前近代もそしてSF的近未来すらもごち ゃ混ぜにぶち込める「太正」という設定の強度には唸らされました。『帝都物語』 の劣化コピーとか抜かすの禁止。これは無教養ゆえの安易なパクリでもなければ、 思い入れに対する糞だらしなさから来る自称「オマージュ」とも違う。すべては 和物のライトファンタジーをデザインするにあたっての必然的かつこれ以上は思 い当たらぬほどに合理的な選択だ。実際、ここまでスタイリッシュなテレビアニ メ風ゲームってないでしょ?(キャプテンはアニメじゃなくて実写ドラマだと思 う) ストーリーのいい加減さとかは、もはやどうでもいい。あたしゃこのスタイルの 良さだけで好評を下します。
「連続テレビ漫画」的テイストって、たしか僕むかしキャプテンラヴについても 指摘したんだったっけかな。 今から思えばあれってゲームとしての基本フォーマットはサクラ大戦からまんま 引き移してたわけだから当然ちゃ当然だ。あー知らずに書いちゃってハズカシー。 結局、物語とかキャラ造形についての「肩の力の抜け方」って点で、あの2作品 はほとんど同じことをしてたのかもしれない。 違いといえばその、タクサン売ろうとしてたかそうでないかってだけで(笑)
金剛、自分で買う気がしなくなりました。個人的なあれへの興味ってもとより絵 面以外の何物でもないんですが(対戦画面含む)、どうもそれがショップでの店 頭デモ視聴の段階でほぼ果たせてしまったらしいのでーす。あー終わり終わり。 DC版の『サクラ大戦』が出たので今さらプレイしてます。ゴールデン枠の「連 続テレビ漫画」を楽しめる感性があれば、わりかしイケるものだと思いました。 こういうソフトとは、晩ご飯を食べ「ながら」見のようないい加減なつきあい方 ができるといいですね。
>ぶちギレ金剛 社長が『サラリーマン金太郎』を片手に「これだぁっ!」と叫んだという噂が 事実か否かはともかく、そういう噂に気を引かれる自分が悲しく思えたりします。 ええ、買ってません。 多部田氏が『タッチ』を片手に「これだぁっ!」と叫んだという噂は、単なる 事実だとしか思っていない自分が以下略。 失礼いたしました。
諸般の事情により、ぶちギレ金剛&PS2の購入は 見送りとなってしまいました…
>GB版はギャグはありますか? 少ないであります。 全編通して3ヶ所くらい。敵を殺しまくると1ヶ所増えるようです。 以上、個人的解釈に基づき。 敵さんがヘンテコな攻撃をしてきたとて、小さな液晶画面で見るとワリカシ 普通に思えてしまうという難点が。 「ヒキョウだとおもうか? オレは手段をえらばん!」
>私はもともとテキスト系ゲーマーのため、昔はゲームがしゃべるということが面倒くさく感じら >れ、結果、声優論というのがこのページでは盲点になっているのですが、 >そこへメタルギアソリッドで少し視野が広がった感じがしていただけに… 小島監督のインタビューで大人のために遊べるものとか 自分の歳に見合ったゲームを制作するとか発言していまして、 あまり深刻な人間観を抱いていない世界でハードボイルド趣味が ユーモアがらみで押し出されていく制作姿勢から察するに、 監督にとって大人とは”粋”と結びついているのではないかと。 特に声優の選択にそのセンスがにじみ出ていたと思えるので、 塩沢氏の不在は言いようも無く痛いです。 PS 今度のオセロットはマンティスすらも霞ませる破壊力あり。
>携帯ゲーム機は、実は家庭用ゲーム機よりも姿勢が限定される可能性が。 やはり家庭用機=てれび前が一番りらっくすできるのでしょうか。 一方PCゲームがマニアックになるのは机に向かうからだ〜と言いたくなりましたが、 するとPCエロゲーと姿勢がもたらす「気分」の関係とはいったい? >PS版の焼き直し PS版=MSX版の焼き直し説が一部ではあるので、同じような内容を 手段を変えて出してくるのを楽しむゲームなのかも。 GB版はギャグはありますか? >塩沢氏 私はもともとテキスト系ゲーマーのため、昔はゲームがしゃべるということが面倒くさく感じられ、 結果、声優論というのがこのページでは盲点になっているのですが、 そこへメタルギアソリッドで少し視野が広がった感じがしていただけに…
ソリッド2の画面写真などを眺めながら「もう塩沢氏の声は聞かれない のだな〜」と沈んでおりました。 携帯ゲーム機は、実は家庭用ゲーム機よりも姿勢が限定される可能性が。 ・据え置き機のパッドに比べて重い ・液晶画面の視野角が狭い 場所はともかく、姿勢はゴロ寝テレビに勝てないと思いました。
けっきょくGBはプレイ止め中。やはり僕にとってのアレは、携帯メディアの機 動性など生かしようのない拘束状況での苦痛を紛らわすものでしかなかったよう です。こんなだから人に通じるように価値なぞ説ける自信はなしー。 ムジュラについては、また分納によってプレイしたいときに品薄になったらタマ ランと思って、まずは買い置きしておいたのですが。なにかと頭でっかちな松野 ゲーム嫌いが、何のつもりかベイグラントに手を出してしまったために…。 結論:あ〜ドリラー最高(寄り道ついでの気軽さ+短時間+文学性皆無)
現在メタルギアと対峙中。 しかし無闇に厚い装甲と、よくわからない飛びかたをする ミサイルに阻まれ、前途多難であります。 ストーリーの方は矢本さんおっしゃるがごとく焼き直しクサい のですが、8bitマシンにてスネークが30fpsで動く姿はきもちよく、 隠れ具合やキーレスポンス、それにニキータのパズルっぽい使い方 など、いわゆるアクションゲーム味に満ちております。 ただ、そういう味を求めてる人たちはムジュラに群がってると いうのが現状かと。
まるでチェックしてないっす。 いろGBとあわせて買う価値はありますか? 携帯ゲーム機って、外に持ち出すほかに、屋内でも うろつきまわったり、転げまわったり、自由に姿勢を かえながらやれるという意味もありそうだなあと思ったり。 一方、PCゲームはプレイ時、机に向かいがちなところに姿勢上の特性が。
実はついこの間まで、スネイクん家の近くに向かう都合がありまして、その折りに 絶好の暇つぶしツールとして携帯しておりました。けっきょく往復時間を費やして なお4ステージめをウロチョロという体たらく。 ストーリーについてはなんか今んところ、PS版の焼き直しなのかなこれはという くらいの印象しか持てていません。「映画的」話の俎上に改めて乗せるべきである ようなシークエンスが今後かいま見れるとも思いにくいですしねえ。何しろプラッ トホームのスペックが今さらのものですから。んーどうなんだろ。 潜入遊び自体には、もはや言わずとも知れた面白さがあります。 ところで、かの地の本屋で手に入れたボケモン読本がちょっと面白いものでした。 文体がくだけているので純粋にお子ちゃま向けかと思いきや、作った人の経歴を変 に詳しく紹介していたりとか、キャラのネーミングの違いをやたらと丁寧に説明し ていたりとか。このあたり年輩アスキー系ライターのノリに近い匂いが若干あり?
てなぐらいにご無沙汰している私でございます。 ここでも『メタルギアGB』は話題になっていませんなあ。 小島カントクはソリッド2にご執心のようですし。
開設より3年、いよいよ4年目なんですが…とくに企画はありません。 最近はなぜかUltima VIIをもくもくとやっています。
業界の喧伝のしかたがあまりにもダサすぎたり、一見戦略的に立ち回って いるように見える業界人が実はかなり天然だったりすることが分かってき たりあって、そこら辺に抱いてた不満が不満というより気恥ずかしさと呼 ぶべきものに変わらざるを得なくなってきた。 いやホント、あんなしょーもないメディアに反応している暇があんなら、 ゲーマーとしてあった自身を磨くことに執心するべきですよ。これ、ここ 二年ばかりのお伊勢参りで得た結論。
「甘い自己投影では?」という指摘は、こちらの畠田さんログに対する読み違え から出てきたものです。 あたしゃてっきり、 【記者の内面=メディア戦術を採るゲームおたくの内面】 という図式による話題だと思ってしまっていたわけ。しかし実際には、 【記者=メディア/ゲームおたく=観客】 という図式による話題だったわけですよね。それがとっとと分かっていたら、 なにも「甘い」とまでは言わなかった。うん。改めて失礼。>畠田さん >postal 話題としては今さらですが、Redneck Ranpageなぞ米南部のプア・ホワイト層に対 するおちょくり様が露骨すぎて、日本でも見落しようがないくらい毒要素があか らさまでしたっけ。あちらの国って変なとこレーティング低いのな。 http://www.interplay.com/redneck/
さすが。この掲示板話題の予測がつきませんね。 畠田さんが「ゲームおたくのメディア戦術」の文章を引き合いにして、 例の騒動に情報化社会下での判断ルーチン化状況の一瞬のホコロビを感じ られる気持ち、僕とかもよくわかりますよ。 そりゃまあ、商売のリクツに沿った価値判断自動化の「病」(ヤマイで いいでしょ、とりあえず)の本質的構造なんて、表層の言説がいかに取り 替えられようとまず万分の一にも変わらないかもしれませんけど、それが 折りにふれて馬脚を現した瞬間に溜飲を下げるくらい、「甘い自己投影」 と抑えこむほどのことではないんじゃないかしら。 たまには枯れたりスカすのをやめて、そのくらいは吐いておかないと、 観客としてのモノサシが狂っちゃいましょう。 それよか、KAさんの文章再読して、あてらナニが気に入らなくてゲーム 語りなんぞやってるのか確認できてよかったっす。うむ。
> 記者クラブの記者の質問は、基本的には与えられたテンプレートを復唱してい >るだけのものなので、それが記者自身の価値判断を直に投影しているとは思いに >くいですし。また、図らずもそれと一致しているとも限らないでしょう。 鬼の首でも取ったような、自分たちをあくまで一段高いレベルにおく (議論するのではなく、議論のルールを審判する立場にたつ)あの口調も、 記者としての基本的トレーニングに含まれているのかな。 形式的なものであったにせよ、本音であったにせよ、プレイヤーの一人が 同時に審判でもあるような試合は、さすがに見世物としても面白くないからなあ。 (「そんな言い方じゃ、外国の人が気ィ悪くするでしょ」というような相手と対等 の視点に立ったコトバが、報道の立場では言えず、差別用語うんぬん というカタチになってしまうわけだが) そこが一般の人に嫌われたのだろうか…とも思ったが、それいつものことだし。 商品としての政治報道は一時期に比べると煮詰まってきているという 感じもしますけど。 一方、最近メディア上で元気よさげなのは、いんたーねっとバブルを むやみに膨らましている人達ですが、バブルがはじけたらはじけたで、 今度はネット社会の虚構を暴くネタで行くのでおっけーとか。 ネットアプライアンスとして持ち上げられた新世代ゲーム機が、 こんどはネタ的に叩かれるという日も来るかも知れませんが、地道にゲーム に携わっている人こそいい面の皮? >Postal 未プレイながら、かの国での郵便局員の社会的位置付けとか、下層中流層の富裕者を ねたみ貧困者をさげすむ心理とか、日本では見落とされがちな毒要素がありそう。 でも露骨過ぎるからなあ。
↓私も推考しなおしたものを書き込んでます。
>・記者クラブの記者の質問は、基本的には与えられたテンプレートを復唱してい >るだけのものなので、それが記者自身の価値判断を直に投影しているとは思いに >くいですし。また、図らずもそれと一致しているとも限らないでしょう。 >なので、あの質疑応答の結果が記者自身のある意味「甘い」認識に直接さわって >しまったのではないかという見かたは、あまり当を得ていない可能性があります。 記者個人のことよりも、その後に出てきた三国人の定義と 差別たりうる論拠の示しかたが拙いまま押し切ろうとした態度が 現実の壁にぶち当たってしまったことを念頭にした書き込みなのですが それをあいまいにしてしまいました。 >むしろ、外の出来事に対するそのような自己投影のしかたこそが、甘いのではな >いか、っつー気もするんですよ(失礼)。 下記のような書き込みになってしまったのは、検証不十分な情報がマスコミの間に 流通しつづけ過ぎて、もう彼らをいちいち非難してたら身が持たないといった気分を 土台にそれじゃないともうマスコミは商売できないなといった諦念があったもので、 そこにかの問題が起こって妙にいてもたってもいられず無邪気な姿を晒してしまった次第です。 要するに、以前怒り過ぎてしまった反動としての態度をむき出しにしてしまった訳です。 三国人発言の支持率の高さを見て、現実の治安問題をつきつけられてもそれを察知せず ルーチンワークで処理しようとした彼らに拙い怒りを憶えている私もあるのですが、 それ以上にあのマスコミのうろたえように、KAさんが主張した情報化時代ゆえに人々が考えずに 日々を過ごせる安心感と苦痛のあり方も、開放とまでは行かずとももしかしたら 万分の一で変わっていくかもしれないのかなとの思いも禁じえなかったので ああいった書き方になったのです。不人情にみえてしまったら それは私の思慮が足らなかったてことで勘弁して下さい。 >・「これからの商いの見通しが急に立たなくなる」ということはなく、むしろ事 >態は全く逆でしょう。都知事の発言に関心を寄せる人向けの記事を書けば売れる >という、まったく商売に即した見通しが明らかになったんじゃないすか。 ちょっとマスコミを新聞とニュース番組に限定してしまったきらいは ありますが、ただ、それから先に方針の転換を易々行なえる態勢にあるか といった問題もあるでしょう。何よりも世論を踏まえて報道していると いった最低限の信頼感そのものがぐらついた訳ですし。
ごめんちゃい。若干の推敲のために削除しちまっていました。原文はほぼ以下の 通りです。 ------------------------------------------------------------------------ ・記者クラブの記者の質問は、基本的には与えられたテンプレートを復唱してい るだけのものなので、そこに記者自身の価値判断が直に投影されているとは思い にくいですし。また、図らずも一致しているとも限らないでしょう。 なので、あの質疑応答の結果が記者自身のある意味「甘い」認識に直接さわって しまったのではないかという見かたは、あまり当を得ていない可能性があります。 むしろ、外の出来事に対するそのような自己投影のしかたこそが、甘いのではな いか、っつー気もするんですよ(失礼)。 ・「これからの商いの見通しが急に立たなくなる」ということはなく、むしろ事 態は逆でしょう。都知事の発言に関心を寄せる人向けの記事を書けば売れるとい う、まったく商売に即した見通しが明らかになったんじゃないすか。 ・まあ彼ら彼女らにしても、予定調和から外れた展開に対する戸惑いはあったか も知れません。あの騒然とした様は、確かにナチュラルな反応ゆえのものっぽい よなあ。 ・慎太郎的には、東京23区を舞台にしたPostalが流行りそうな予感。
今回の三国人発言の顛末を見て、日本の右傾化うんぬんよりも、 久し振りに出てきたマスコミの手で気軽に調理できそうなおいしい はずのネタが、実際に客に食わせてみると総スカンを受けてしまって、 これからの商いの見通しが急に立たなくり騒然としているマスメディアの 姿が印象に残るばかり。ゲームおたくのメディア戦術から2年もたたずに こんな事態をむかえるとは、時代が移る時には変化は早いものです。 まあ、それが我々に歓迎される何かをもたらす見込みは薄そうですが。
>そこに用意された物語は、所詮何周もできる >ような設定としてのストーリーでしかないんじゃな >いかと。すると、後に残るのは、アンデッドにはこ >の武器で、ビーストにはこの武器で立ち向かおうと >かそーいう戦術面になってしまって。 む。 戦術面のルールにも本来それなりの筋立てというか「見立て」が あるようなきがするんですわ。子供のごっこ遊びのように。 タクティクスオウガの方は、ゲームの戦術性と筋書きはもちっと調和的であった という印象もってます。 ゲームに限りませんが、あーいう戦略戦争ものの話では、知恵者や陰謀家が、 現実社会を実際に動かす活躍をする場面がひとつのウリでもあり。 つまり、知性や思想というものが、文化精神面のみならず目にみえる物理的世界 も直接動かせるというロマンチシズムがこの世界にはある。そんな物語世界では、 戦場で天下国家について熱く語るのもアリなのかも。 またそのストーリーから逆に戦術を考える行為に意味付けがなされたり。 ベイグラントでは、リスクなる値がありますが、アレなどは洋ゲー界なら 「集中力」など具体的な何かをさす名称にしてしまうところでしょう。 しかしそうはせずに、単にやたらにCHAINされないための数値としてあると ころも特徴的だと思いました。 リスクが上がりきったところで、ダメージリフレクとかで敵をいたぶるのも それはそれで楽しいんですが、こうなると純粋なゲームのためのゲーム、いや ゲームというよりなにかのテストのように感じたり。 格闘ゲームなどで見られる、アクションシーンや武術への思い入れなども、 ここでは、すがすがしいまでに皆無です。 格ゲーといえば、ゲージがたまると必殺技が出たりするのは何なんだという のがありますが、あれはキャラの能力ではなく、ドラマツルギーを数値化 したものか?
このBBSでははじめまして。 よろしくお願いします。 とか言いつつ結構話題に遅れてくやしい思いがして ならない今日この頃です。 ベイグラント、プレイ中ですが、なんだか主人公の 内面の云々はどうでもいいというか、そこに惑わさ れつつあった自分がくやしいっていうか、てな気に なってます。タクティクスオウガもそうだったのか も知れない…。 メニュー画面を見るに、あれは短めなゲームを何周 もして武器やアビリティを鍛えていくパターンのよ うで。そこに用意された物語は、所詮何周もできる ような設定としてのストーリーでしかないんじゃな いかと。すると、後に残るのは、アンデッドにはこ の武器で、ビーストにはこの武器で立ち向かおうと かそーいう戦術面になってしまって。でもそれで わりとほっとしている自分がいたりします。 って、文脈はずしまくった余談で申し訳ないですが、 今のところ、PS2を買うとしたら金剛とともに買 うという可能性が、自分的に一番高いです(汗)。 では、またいずれ金剛ネタで(するな)。
例によってわたし業界事情にうといんですが、例のアレでゲームソフトと DVDのエロ規制の整合性問題はどーなったんでせうか? PS市場進出をねらうエロゲメーカーが、インタラクティブDVD(ほとんど静止画) 作りに走ることは可ですか? 一方わたしはエアロダンシングFにより一時はドリキャス購入を真剣に検討し ましたが、目下サイフのひもをゆるめるような晴れがましい気分になれないた め、却下。気分で買うのが大事だとおもいます。 「F」は洋ものにはないきめ細かさがいいとおもいました…
格ゲーマニアとシミュ愛好者というと、なんかいかにも畑違いのようですし、 事実としてそう言えるところもありそうなわけですが。 しかし両者の志向は、実はなにかしらの理学的なセンスをもとにした繋がりを 持っているような気もします。ただ、それがアートディンク的なものにおいて どうなっているのかまでは、よく分かりませんが。 そんなわけで、もしもアートディンク的な格ゲーとか縦シューとかがあり得た としたなら、そこら辺のつながり具合が見えてくるのかも、な〜んてデバガメ 趣味のようなことを考えたりして。 金剛がそうした関心にこたえてくれるものだったとしたら、やはり嬉しいです。 プロデューサーの思惑とかとは、もはやあんまり関係ないところで。
■ぶちギレ金剛関係 とりあえず下のインタビュー記事を見て: 無理にアートディンクらしさがどうこうと言わなくていいのに。 (どうせあのプロデューサー的、企画屋的発想がすでに非アートディンク系) 私としては、重機が気合でジャンプして空中コンボを決めるゲーム でも構いませーん。 ■ベイグラントその後 実は結構ルール難解だなと感じてしまいました。 とゆーのは、 洋ものPCゲームの場合、設計思想が厳格というか「ファンタジー小説を読んで いるような楽しさを再現したい」とか「本物のような気分を」とかなんにつけ 最初に目的意識があって、それに基づいてゲームのルールを作っているので、 最初に製作者の意図を把握してしまえば、複雑なルールでもすんなりのみこめます。 しかし最近そういうのに慣れてしまった身にはベイグラントのような、ルールを 複雑に調合しながら面白さをひねり出そうとするゲームは、逆に理解するのに時 間がかかり。 特に武器生成関係、法則性が今ひとつわからないので 落ちてたものをそのまま使ってる。 ■しかし実際には PS2は見送り、ベイグラントもやらず、ここ数日は98エミュ 上で「ルーキーズ」「ラブエス」を連続プレーイ。 ★「ルーキーズ」とは? ・POWER SLAVE,ラヴ・エスカレーターとならぶ 海月製作所「ダメ人間三部作」(かってに命名)のひとつ。 ・「30歳未満は女じゃねー」と叫びながら里美萌えプレイしても エロシーンはないという。 ・ジェリーフィッシュのヒロインがみな料理上手というのは やはり監督の個人的な事情によるものか?
金剛くんのプロデューサーって、田中圭一氏なんですよね。 http://www.so-net.ne.jp/sonymagazines/web/game/ps2/kongou.html キャラデザ担当として宮下あきらを選ばなかったあたりに、ある種のセンスを感 じられる気がしました。マンガ家としての芸風とも関係してくるような。
>「スクウェアはゲーム界のトランスルーセントか否か」 ヤリた…じゃなくて、買ってという欲望が あからさまに読み取れるファッションなのが 無邪気ともナンセンスともとれる原因かも。 着こなしに苦労しただろう松野氏の胸中やいかに。
自分のポケステの色をよく見たらあっれ〜!? いや、あればっかりは元のデザインに問題があるので…。 もうダメ二人目
>クリアパープルであるという戦慄の事実 アナタもうだめです。 >「スクウェアはゲーム界のトランスルーセントか否か」 だとしてもそれは、スクウェアという作り手にすべて還元できる話でもないんじ ゃないですかねえ。 あそこはもともと「とにかく目立って受ける」ことのみをビジネス上の鉄則にし ていった経緯があるみたいなので、とにかく目立って受けた結果として日ごとに 獲得していったお得意さんからの「ももっと、その目立つやつで受けてェ!早く やれよコンニャロ〜!」というワガママに正々堂々と応えているという側面も、 可能性としては無視できないと思います。 むろん、作り手個々のお里の問題とか作業の合理化という純粋な内部事情も、そ れとともにあるんでしょう。そうして成立した両者の抜き差しならぬ相補的な関 係が、よりいっそうに純化されたキラキラのスケスケを生み出させているのが実 態だったりとか。 http://www.shop-as.com/braset/braset.html
じつはわたしの所有するゲームボーイポケット(カラーにあらず)が クリアパープルであるという戦慄の事実が! ただ、もともと「子供のおもちゃ」であるGBの場合、チャラチャラと 軽いのはむしろ正しいのではないかと当時は思いましたが… 製作意図はそうではないらしい? http://www.nintendo.co.jp/n02/dmg/hardware/gbp/index.html さて、こうなると論点は 「スクウェアはゲーム界のトランスルーセントか否か」 という点に絞られてきましたが…(ほんとか?)
もともとトランスルーセントは軽々しくて嫌いで、iMac発表当初は えーAPPLEまで何それえ、という感覚でしたが、G3登場くらいから少 なくともMacの一部については見直したオイラ。 まあポリタンクやG4は透けてないから純粋に配色だし。 初代の5色iMacは完全にオモチャでしたが、昨年秋にモデルチェン ジされた新iMacは、プラスチックというより磨り硝子を思わせる霞が かった筐体の奥にブラウン管のラインを見せるデザインに変更されて、 むしろ機械としての来歴を強調する印象を受けました。スケルトンも のもちったあ成熟か、って観があったんですが。 http://www.apple.co.jp/ まあ、それにしてもここらへんの機械は配置と使いこなし。雑然と したオフィスや生活空間に平気で放置できる感性は信じられない。 実際ンとこ、きちんと見栄えする空間をつくれるのはモノへの畏れ のある人間だけなんだよね。トランスルーセントものはそういう見栄 えへのハードルが高くて、モノ扱いのセンスのない人間の空間演出力 のなさを容赦なく浮き彫りにしてしまうからこそ、見ててキツいんじゃ ないかしらん。
KAさんのご意見、まっことそのとおりだと思います。いや、本当に同じようなこ とを考えていたんですってば。トランスルーセントがやけに流行ったおりには、 「なんでも透けリゃいいんだったら配色を考える必要はないよな」という感想を 持ったくらいでしたから。ワンダースワンを購入したときも、「スワン」のイメ ージを投影したラインの曲線美が観づらくなるから、という理由でスケルトンは 避けたし。 いや、もともと嫌いでもなかったんですけどね。あまりにもそればかりという状 況にいたって「さすがにこれはおかしいんじゃないの」と思うようになったと。 ああいうものが流行る理由について、やや思うところ。 概してメカものの場合、透けていたほうが見た目の軽量感が増して手に取りやす いと言えます。そこで僕が思うに、見た目の軽さというのは、文化の重みを連想 させない効果もあるんではないか。 してみると、ちかごろの消費者というのは、物を手に入れることへの気負いとか、 物が持つ謂われとか背景への「畏れ」を受け入れる精神が失われている…?
>ベイグラントのカメラワーク 私の場合、 ベイクラント(もしくわスクウェア)のカメラワークが、ぐりんぐりん動いたり めまぐるしく視点が変わったりするあたり理屈抜きのジェットコースター的な楽 しさではないのかと思ったりするんですが、もっともそれは先のプリミティブな 美がうんぬんという考えに無理に引き寄せた考えのような気も少し。 閉ざされた場所での内面心理劇というのは本来、定番中の定番というか、設定として はかなりおいしいはず。 たとえば空間の広さではなく、もっと落ち着いた、じっくりめっちょりとしたカ メラワークで空間の暗さや狭さ、閉鎖性、非日常性を強調していけば、登場人物 のやや説明的な心理学的な筋書きも、観客に自然と受け入れさせることが容易に なってくるかも。 しかし、そういった世界観の統一性よりは、やはり原始的な楽しさを優先させて いるということなのか? >『カスタムロボ』(N64)の映像デザイン いまのところ見る機会がないです〜 話はややわき道にそれますが、透明感とかジャリ向けといえば、私はiMacとそ の追随者としてのトランスルーセントな電子機器にかなり抵抗があって。 透明ということ自体やや安易な印象を受けるのですが、なにより中身のメカメ カしいものが透けて見えるあたり、昔の子供向けの本で見たような、ロボット や怪獣の解剖図?を連想させられ、妙に子供っぽいというイメージが私の中で 出来上がってしまったような? 人目を集めるのにはよさそうですが、あんな「わびさび」のない物体と毎日顔 を合わせるのはなー
ベイグラントのカメラワークの良さに触れる評価が 結構ありますが、それは手前のものと奥のものの差を強調して 中間にものを孤立させて置くかあるいはなにも置かないことによって 空間の広さを強く意識させていることにあります。こういった空間を 描く方法は世界とそこに生きる人間という情景を表現するのに (すなわち群像劇)適しているのですが、どうも美術の問題と 個人の内面に向けたシナリオとの相性とあまりかみあっていないせいか 目指したものよりも小さくまとまってしまった印象があります。
もうぜんぜん関係ないじゃんだめだこりゃ、とは思いつつもお筆先がすらすら〜 と動いてしまったもので。ごめんね金剛。 美術と言えば、僕がつい今朝方までプレイしていた『カスタムロボ』(N64)の映 像デザインは、かなりスノッブな感じに原始的です。要はジャリ向けマスプロ美 術。たぶんこれ大方の人は、スクウェアのそれとは違って見えるものなんでしょ う。 でも『チョコボ〜』なんていう一連のタイトルをも視野に入れつつ見ていくと、 スクウェア美術なるもんは、ちょっと肩の力を抜けば案外あっさりと、明かに俗 っぽいジャリ向け路線に行きつけるんではないかな、とも思えるんですよね。逆 に言えば、いつもの彼らってあれはあれでものすごく背伸びをしていて、その背 伸びの方便として彼らには価値中位的なものしか選択できなくて、またそうして でも背伸びせざるを得ない切実な事情もあり得るんではないか、と。 そう考えるとスクウェアって、その取り澄ましたでかいナリに似合わずカワイイ ところもあるんじゃないかという気がしてきます。何しろその打ち明けには、シ ークレットブーツ装着・ビガーパンツ愛用による水増し分が含まれるわけなんで すから。 ま、それでも妙に頭でっかちなところでやっぱり引けちゃうんですけど。
■ベイグラントストーリーをやった スクウェア美術の特徴というのは、やはりそのプリミティブな構成要素にあるよ うです。 すなわち、キラキラ光るものとか、透明感、グラデーションなど、子供が宝物 として集めそうなもの。 社会性とか人生経験を参照することで理解できる、何かを表現しようとした 美術*ではない*ところのもの。 こうした原始的な美は、その価値中立性により、どのようなものにも適用できる。 それを利用して、画面上に登場するあらゆるものに、1ドットも残さずこれを 徹底的に適用すること。 この徹底ぶりが、ほかのゲームと違うところかと。 逆に、このゲームで絵に対して表現作品としての意味を求めようとするなら、 失望することに。 開発面で言えば、一度この方針を徹底してしまえば、監督と美術担当の間でイ メージの相違が起こりにくいので、(原始的な美は、何らかのイメージを表現 しようとする美ではないから)打ち合わせの回数や、不条理なNGの回数を減ら せるのでは? そのへん、合理的でスマートな仕事って感じ。 ■金剛君シリーズ そろそろかわいそうになってきたので、ハッピーエンドを考えようとしたが…
闘いに明け暮れる日々は、歴戦の勇士の心身を確実に蝕みつつあった。いったい どこで間違ってしまったのだろうか。ある日君は、パワーショベルで現場近くの ちびっ子ハウスの壁をニコニコしながら削りだしてしまう。家屋とともに、君の 心もまた崩れ果てていた。 当然のように現場を追われ、とある街外れの病棟に投獄。そこで君は、ワンナデ ィと名乗る女医と出会う。狂える君の心は、ワンナディへの恋慕によって癒され ていく。 たが、それは新たな懊悩を呼び起こすものでもあった。おぎおぎする肉欲をいか にエレガントなラブコールに昇華すればよいものなのか。生粋の工業哀歌バレー ボーイズであった身では、必要を知りつつもその手立てが見つけられない。 悩みぬいたすえに一計を案じた君は、棟内でご隠居として親しまれている老人 (自称「カールマパ=マルクス17世」)に相談を持ちかけようと試みる。だが、時 すでに遅し。部屋を尋ねてみるとそこはもぬけの殻。かねてより勝手に身の危険 を感じていた老人は、ついに昨晩未明、「祖国からの亡命」を果たしてしまって いたのだ。ああどうすれば。 そこに現われたのが、アートによるデオドラントの先達、真・片岡鶴太郎であっ た。おでんによる火傷の痕跡は、今も生々しくときおり彼の口元を鈍く光らせ… だめだ。
↑かってに桃天使を想起させる、うかつな投稿タイトル 日本を去った主人公は、流れ着いた東南アジアの街外れで、なつかしい 建機たちを目にする。主人公は体に染みついたブルドーザーの感覚が忘れ られず、彼の地でふたたびレバーを握ろうとする。 だがそれらの建機は対外支援の名目で日本から送り付けられた、現地の 重工業を日本製重機で占めるための駒に過ぎなかった。 「日本人ハ現場ノ仕事マデ奪オウトイウノカ!」 ……建機の運用をめぐって日本人技術者と衝突を繰り返していた労働者 たちは、君のなにげない行動に怒りを燃やしてしまう。 君の意志とは無関係に、現地労働者と日本人技術者との戦いは火ぶたを 切られる。君は日本人技術者に祭り上げられ、ふたたび建機で闘う……。 寸評: 金剛くんが全然ぶちキレてません。0点。
なんでも階級文化論に結びつけるのもよくないとは知りながら、他にやるやつ がいないのでついやってしまう私。吉野川可動堰住民投票の報道を見ていまし たが、「おいおい、こりゃ、べつに環境問題とも民主主義とも関係ないだろ。 クリーンかつクールに生きたがっているブルジョワジィが、日本株式会社の汚 れ仕事を担ってきた土建屋+プロレタをそろそろ切り捨てたがっているという、 階級対立の問題を軸に考えるべきでは?」という発想しか出てこず。土建国家 というのは、良くも悪くも大衆的なしくみなんですよね。まあ私自身は、もと もと大衆的なバイタリティに欠ける人間なんで、味方しないわけですが。 そんな最近の私が超ツボはまりなのは、いうまでもなくアートディンク初のバ カゲー「ぶちギレ金剛!!」だよね! #アートディンクの迷走がまさかここまでくるとは… 勝手に想像!ぶちギレ金剛ストーリーモード: 不況がつづく建設業界。せっかくの大口受注が、環境保護市民運動の前に消えか かっていた。運動家の背後にいるリベラル系政治家が、次期国会議員の椅子を狙 って、君たちも世話になってるセンセイの集票力を切り崩しにかかっているのだ。 そんな中、事態を懸念した君の同業者の修羅部建設は懇意にしている親分に相談、 かれは手下を使って問題の政治家の娘を誘惑し、シャブ漬けにしたうえで、これ をネタに、運動をやめさせるよう脅迫する。 だが、なんということだ、その娘こそ、君が思いを寄せる女性だったのだ! そして今、ブルドーザーが復讐の牙をむく! だが、戦いに勝利した君をまっていたのはつらい現実だった。 職を失った同僚たちからは裏切り者として疎まれ、結果的に味方したはずのブ ルジョワ市民運動家からも粗野な土建屋として軽蔑される。そして必死の思い で救出した娘は、すでに君のことを忘れはて、快楽におぼれる肉人形にされて いた。 すべてを失った主人公は、日本を去るのだったが… (金剛2につづく)
■洋ゲー界でのリアリティ論争(続き) 洋ゲー界のほうが、シミュレータ系のゲームのリアリティへの要求は激しいようです。 そういう時つい、西洋文化がどうのとか、キリスト教の影響がこうのといってしまいそ うになりますが、またそれはべつに間違いでもないんでしょうが、そういう文化的影響 が、海外ゲーマーにとって実際にはどういう体験として現れたのかまでは分からないの で、洋ゲーにこめられたソウルは中々キャッチしにくいものではあります。 そんなわけで、洋ものPCゲームばかりやっていることも、このページが死んでいる原因 のひとつかもしれません。 ただし、日本の識者が西洋の文化とみなしているものの大半は、西洋の中流階級の文化 であり、東西の文化の差だといわれているものの大半は、階級の差にすぎない(日本は なんだかんだ言っても庶民中心の国ですから…)場合が多々あり。そして、階級文化格 差の問題なら私にも語る資格はあるのかもしれないと思ったり。 ■電撃G'sマガジンの 読者コーナーで、いまどきのゲーム誌としてはめづらしく、読者のマイノリティとして の自覚と開き直りを煽る方向で編集されているのは、とりあえずよいと思います。(で も、編集担当者は、内心は読者を馬鹿にしながらやっているのかもしれません。)ギャ ルゲーマーという人たちはマジなところがいいとおもいます。(マジだからダメという 意見が大勢のようですが…) ■ヴァルキリープロファイル 4章で放置中。 このゲーム(この人達の作ったゲーム?)の最大の特色は、ストーリーというものを、 どのような表現手段とも結び付けられる中立的なものと看倣す「合理主義」にあるよう です。 外見と中身はどこまでも別という考え方ですな。 しかし、わたしゃどうもそういう考えが嫌いでさ。 一般論としては、国産RPGの場合、筋書きの方は、間がもたせられないところを戦闘が埋 めてくれることを期待し、戦闘の方はプレイヤーが反復に飽きたとき、ストーリーの先 知りたさで続けてもらえることを期待するという、緊張感のない関係を生じがち。 一方、その緊張感のなさ?が好きだという人も? つづく。
>倶零舎様 >この手のゲームは「ミリタリオタクの知識欲を満足させる」という使命を >(本意か不本意か)負っていますが 一方、ネット対戦などではこのゲームも、一般の3Dシューティングの ように気楽に遊ばれているような雰囲気が。 あと、あえてミリタリな雰囲気をぶち壊しにする変なスキン作ったり。 ネットゲームでは、知的で凝った作業よりは、一発ギャグのほうが好まれる ものなのかも知れません。 >畠田様(遅レス) >ヒロインがレンズ越しに挑発しているのは観客ではなく実は…とか。 今回はそういうのはなくわりと穏やかなもので。 わたしはあそこのスタッフが、オトナ(であるということ)を題材にした ものを作るのを見てみたいと思ったりします。
もはやパソコンを『レインボー・シックス』が快適に遊べるほど拡張する 意欲の残らぬ私は原作本を購入。しかし読書不精ゆえ……。 >ミリタリなお方によるリアリティ論争 この手のゲームは「ミリタリオタクの知識欲を満足させる」という使命を (本意か不本意か)負っていますが、その再確認に使われる知識もまた、 「ミリタリオタクの知識欲を満足させる」ために書かれた文献だったりして 堂々巡りの様子であります。 ミリタリオタクが大挙して戦場に行くよりはマシかも知れません。
コンシューマな人のための、昨今PCゲーム事情ぉ〜(大嘘) なんか最近、特殊部隊ものがはやっているらしいですよ、洋モノPC界。 そんな折、地元の中古ゲーム屋に、 Tom Clancy's Rainbow Six:ROGUE SPEARがあったので、購入。 この業界では、やはりミリタリなお方によるリアリティ論争が はげしく行われているようですが、これを横目で見つつ、射殺 されるテロリストの方に感情移入し、ロマンチックな妄想で熱 くなるという間違ったプレイスタイルでゲームを楽しむ。 ゲームの舞台は現代ですが、戯れにサーチエンジンで「ドイツ赤軍」 を検索してみるも、日本語ではめぼしいページなし。 あと、そろそろ3Dオーディオ環境を作らないといけないのかも と思った。(音の方向がわかりにくい)
>そもそも、約束を反故にされて腹が立つとか、そういうパーソナルな >事件を印象ぶかく語るのに、政治的思想とか心理学とか世代背景を持ち出す >以外にない私どもの状況こそ、物語る能力の低下なんですな。 その状況を変えようとして、更に観念にはまり込む悪循環をどうにか しようとしてまた観念にはまり。なるほど、これで気がつきました。 >話が観念的なほうへ流れてしまうのでこの話題はちょっと止めるっす。 了解。 >ああ、「GREEN」ですが、「イヤなやつら」の描写はその点あいかわらず巧みです。 おんなの子もあいかわらず主人公を審判をかけますか? ヒロインがレンズ越しに挑発しているのは観客ではなく実は…とか。
そもそも、わたしがここの常連さんのうち誰も関心のないUltimaの話題を執拗に 続けているのが原因なのですが、 話が観念的なほうへ流れてしまうのでこの話題はちょっと止めるっす。 そもそも、約束を反故にされて腹が立つとか、そういうパーソナルな 事件を印象ぶかく語るのに、政治的思想とか心理学とか世代背景を持ち出す 以外にない私どもの状況こそ、物語る能力の低下なんですな。 ああ、「GREEN」ですが、「イヤなやつら」の描写はその点あいかわらず巧みです。
>特定世代向けの番組では、それ以外の世代をコケにして >笑うという「逃げ」が存在しますな。「やってTRY」とか。 >サイコと同様に、ジェネレーションギャップもそういった >ことのすり替えに使われてるんですね。残念なことに。 一昔前だったら、大人=権力=悪 だったので反権力を英雄に仕立て上げて いくらでも物語りを創ることができたのですが、 なにぶん今ではその反権力が権力になって先代の大人達よりも タチの悪い振る舞いを繰り返しているせいで、もはやその手は使えないし、 王道回帰も同じ理由で信用されない。 ならば創り手のふがいなさを悪にしてしまうのが一番手っ取り早いのでしょうが、 本気で実行したらエヴァみたいに作者の自殺行為に行き着いてしまう。 残るのは創り手の自信の無さだけなので、それで他人の顔色を伺うようなもの ばかりが世に氾濫してしまう。 結局、作者が正しいと信じているものがなければ、それと対立する 真の悪も描けないということでしょう。むしろ正しさとは何かということが 問われているような気がします。
殺人犯を精神鑑定に持ち込もうとする弁護士を皮肉っているつもりとか。 #まだ引っ張るか
どうも。これたこれた。 リニューアルされてから、大丈夫になったようです。 おめでとざんす。 ちと消耗中で、ご挨拶にも素気なく申しわけありません。
Ultima Ascensionの日本語吹き替えでは、アバタール(プレイヤー)は 大塚明夫とな? (みんなも想像してみよう) ちょっとイメージ違う気がしました… ただ、昔は洋ゲーの日本語化といえば低予算でもできる仕事という 感じがしましたが、スクエア資本がからむと使える人脈の幅が違う っていうことなのか、 ともかく、関係者のビジネスマン(人と人との関係を売る人々)として の力量は評価。 しかしその一方で、吹き替えの演出や翻訳面を責任をもってやって くれる人物がいるのかが見えないのが不安。 英語版の正直言ってややわざとらしいせりふを演技力でカヴァーして 欲しいけど…無理かな。 過去のUltimaシリーズの日本語化においては、金井哲夫氏の仕事が 一番おもしろかったと思います。
すみません、面白いことが書けないのはわかってます。 さらに脱線。 >・部下に責任を押し付けることばかり考えている上司 >・足代わりにちゃりんこ盗むのが日常化しているガキ こういった人々を主要視聴者の範疇に含めているので、 番組製作者側が悪者扱いできない可能性とか。 街行く人々の素行悪さを見るに、そんなことを考えて しまいました。 >そして結局、そのような日常のイライラが表現されないまま蓄積されていく… 特定世代向けの番組では、それ以外の世代をコケにして 笑うという「逃げ」が存在しますな。「やってTRY」とか。 サイコと同様に、ジェネレーションギャップもそういった ことのすり替えに使われてるんですね。残念なことに。
・部下に責任を押し付けることばかり考えている上司 ・足代わりにちゃりんこ盗むのが日常化しているガキ などですが、ドラマや映画などで上記のような人物を 出しても、視聴者はそれがドラマツルギー上の悪役だということに気づかない とか。 少なくとも2〜3人殺さないと、それが「わるもん」だと分かんない。 んでそれが、批評的には人間の暗黒面がよく描けていると誉められる。 しかし実際に私たちがいつもイライラさせられているのは、サイコ系ではなく、 最初の例のような、無能と怠惰ゆえに人を傷つけることでしか生きていけない人 たちなのですが、そのへんの事情を豊かに語る表現力を育てる場所がいまどきど こにもなひ… そして結局、そのような日常のイライラが表現されないまま蓄積されていく… 表現作品におけるサイコの役割は、ほんらい悪役ではなく、道化でした。 その点、サイコ・マンティスのキャラづくりの正統性を再確認。
>また、最近のゲームや映画では、普通の人間の理解を超えたサイコな超人的悪党が >暴れるのが常となっていますが、私に言わせりゃ、あんなのは悪に対する想像力の >欠如以外の何者でもありません。 分からない人間をサイコ扱いする傲慢さこそ 21世紀にふさわしい悪なのかもしれません。
悪らしい悪ですか? なんでしたっけ、あのSNKのシューティングの。クラウド大佐とか。 ゲームのタイトルが思い出せないので、だれかツッコんでください。
Ultima Ascension: のんびり進めてtrinsic周辺 しかしながら、私が今回不満なのは、悪党のみなさんがいまひとつ魅力がないこと。 ガーディアン編以降のUltimaは、ガーディアンにそそのかされて悪の道に走る(し かなくなる)意思の弱い人々の描写が実に生きいきとしていてなあ。 これらの小人物どもが引き立て役になってくれるおかげで、プレイヤーの立派な仲 間たちのありがたみもわき、かれらの「徳」も説教くさくならずにすんだというも のですが。 しかし、今回そのへんちょっとだめ。 町の皆さんも、ちょろっと呪いをといたくらいで、ころっと改心するなよー。そん なの善でも悪でもないじゃんよ。 また、最近のゲームや映画では、普通の人間の理解を超えたサイコな超人的悪党が 暴れるのが常となっていますが、私に言わせりゃ、あんなのは悪に対する想像力の 欠如以外の何者でもありません。 ガーディアン氏も、冒頭から全身像が出てきた(これまでは顔だけとか声だけという パターンが多い)時点でいやな予感がしていたのですが、今回はかなりストレートに ブリタニアを攻撃してるのが彼らしくありません。 これまではテレパシーや毒電波が彼の主な攻撃方法でしたが、これらは魔術的なも のとみせかけて、やってるこたあ、ただのたぶらかしだというセコさが魅力だった のに。 Ravenと彼女のBossも、あまりにもアメリカ人が考えるかっこいいワル=冷めた 個人主義者なのが、私にはどうもなー。 ファンタジー世界の悪党というのは、神仏を恐れ(普通の人間よりも地獄に落ちる ことを強く意識するがゆえ)、しきたりや掟にうるさい、もちっと保守的なものであっ てほしい… かつてのブリタニアには、そういった意味での「今風」のイメージの枠をはみ出す ようなモノがあふれていたように思うのですが、今回それを捨てて得たものが多い かというと、やはり疑問が。 もうちょっと進めてみます。
……